世の中には、いつも「運のいい人」と、 いつも「運の悪い人」がいます。
勿論、サラリーマンにも「運のいい人」と「悪い人」がいます。
ついている人は、なぜか「ここぞというタイミング」で正しい場所にいたり 、
「ここぞというタイミング」で凄い情報に出会ったり、 「ここぞというタイミング」
で素敵な人達と出会ったりします。 これらは、本当に偶然なのでしょうか?
人は生まれながらにして、生まれきた時代や生まれた場所に始まり、受験や就職、
結婚などなど、運に影響されてしまう場面に出会いながら生きて行きます。
そんな不確定要素が多い人生で「運がいい人」が、いつも運に恵まれているように
見えるのは、なにも「風任せの運」だけに頼っているわけでもないようです。
きっと運が試される場面でなくても、人には見えないところで血の滲むような努力を
積み重ねているのだろうと思います。
そういう人知れない努力の積み重ねがあるからこそ、たまたま絶好のチャンスに
出会ったとき、慌てず焦らず冷静に対応でき、キッチリとそのチャンスをものにする
ことが出来るのでしょう。
それが人には「運が味方している」ように見えるのかもしれません。
「運も実力のうち」とは、もう随分昔の私のサラリーマン時代によく聞いた言葉です。
また、「捨てる神あれば拾う神あり」、「苦あれば楽あり」と古くから言われてもいます。
これは「長い人生、そんなに捨てたもんではありません。だから、決して人生を投げ出して
は駄目ですよ」と古人が戒めた言葉でしょう。
なぜか貧乏神に好かれてしまい、「ジッとガマンのサラリーマン人生を長く送ってしまったり、
その後の独立も当初は大変な苦労を強いられたり」と「苦の時間」が長かった私の人生を
いつも後で支えてくれたのは妻でした。
この「我が人生最大の支援者」であった妻に先立たれてしまったり、挙句にはその妻の
介護疲労から脊椎管狭窄症を誘発、手術する羽目になったりと、私の「苦の時間」は、
結構深く長いようです。
ところがどっこい、私はそんなことにはヘコタレません。なぜなら、
「苦」が厳しければ厳しいほど、その後に来る「楽」もまた強く大きいことを知っている
からです。「苦あり遠方より来る、また楽しからずや」の心境なのです。
長いサラリーマン生活では、嫌な上司の下で、どうしても仕事をしなければならない
「運の悪い」時期にも遭遇してしまいます。その上司が、能力的に尊敬できないだけなら
いざしらず、その性格が「上にはゴマすり、部下には威張り散らす○○ドラマにでもよく
出てくるような類(たぐい)」の上司の下では、“もうなんだかこんな会社は辞めようかな“
と思ってしまうかもしれません。
しかし、ここでも、我慢が肝心です。なぜなら、どこの会社に行っても、こういう類(たぐい)
の上司はいるものだからです。転職しても、きっと同じような運命になる可能性が
大きいでしょう。
だから、上司とそりの合わない不遇な時期を迎えてしまったなら、その上司の下での
担当業務は適当にこなし(但し、手抜きがバレないように)余力を蓄え自己研鑽に励んで
自分自身をパワーアップしておき、嫌な上司の下から他部門へスカウトされるようなチャンス
を狙うのが賢明でしょう。
というのは、「どうせ上司のほうが早く死ぬのだから、ジッとして待っているのが勝ち」
と思えばいいのです。ここでの「死ぬ」という意味は、
退職や異動も当然のことながら
含まれています。
長い目で見れば、本当に嫌な上司は、その不運な部下だけが「嫌な奴」と思っているだけ
でなく、他の社員もそう思っていることが多いのです。更には、その部下たちに嫌がれて
いることは、その上司よりも更に上の上司が察しているものです。だから、短気は
起こさない方がいいのです。
長い「苦の時間」を何とか乗り越えてきた苦労人の私(?)が言うのです。間違いありません!
“エー本当かな?やけに「苦」の時間は長かったけど、その割には「楽」は余り
来てないけどなぁ?”
前回の「育児
短時間勤務」についての話は、如何でしたでしょうか。
今回は、「裁量
労働者への
半休付与」についての話をします。
──────────◆ 目 次 ◆──────────────
○裁量
労働者への
半休付与
───────────────────────────────
半日単位の
年次有給休暇制度を設けている場合、
専門業務型裁量労働制を
適用している社員に対しても
半休を与える必要があるのでしょうか?
専門業務型裁量労働制とは、業務の性質上、 業務遂行の手段や方法、
時間配分等を大幅に
労働者の裁量に委ねる必要がある業務として、
法令等に定められた19業務の中から、対象となる業務を
労使協定で定め、
実際の
労働時間 数とはかかわりなく、
労使協定で定めた時間を労働した
ものとみなす制度です。
つまり、
裁量労働制が適用された場合、始業・終業時刻の決定や
1 日何時間働くかについて、
労働者自身に委ねられており、その実際の
労働時間が何時間であっても、あらかじめ労使で定めた時間労働したもの
とみなされます。
一方、
年次有給休暇は、
裁量労働制で働く場合も当然に付与されますが、
年次有給休暇は1日単位の取得を原則としており、半日単位の年次有給
休暇制度は設けなければならないものではありません。半日単位の年次有給
休暇制度があることから、
裁量労働制対象者から請求があったわけですが、
裁量労は、1日何時間働いても、あらかじめ
労使協定で定められた時間働いた
ものとみなされることから、
労働時間については自分で調整すればよく、
あえて
半休を取得する必要はないということになります。
したがって、
半休の請求があった社員に対しては、
裁量労働制は業務の遂行の
手段および時間配分の決定など当該社員に委ねられているものであり、
半休を
請求しなくとも、自分で
労働時間を調整するよう、そして、有休を取るなら、
半日単位ではなく1日単位で取得するように促すのがよいでしょう。
なお、
労働基準法上の
管理監督者についても、
労働時間・
休日の適用が除外
されていても、
年次有給休暇については、付与しなければなりませんが、
半休制度についてはあえて
半休とする必要はないということになります。
事務所のホームページを更新しております。
ご興味のある方は、
http://www.node-office.com/index/index.html
または、
http://www.humansource.co.jp/ へどうぞ
当事務所所長 野手 茂 著の「サラリーマン講座
退職金・年金編」が 文芸社
より、全国書店、ネット書店で販売中です。
世の中には、いつも「運のいい人」と、 いつも「運の悪い人」がいます。
勿論、サラリーマンにも「運のいい人」と「悪い人」がいます。
ついている人は、なぜか「ここぞというタイミング」で正しい場所にいたり 、
「ここぞというタイミング」で凄い情報に出会ったり、 「ここぞというタイミング」
で素敵な人達と出会ったりします。 これらは、本当に偶然なのでしょうか?
人は生まれながらにして、生まれきた時代や生まれた場所に始まり、受験や就職、
結婚などなど、運に影響されてしまう場面に出会いながら生きて行きます。
そんな不確定要素が多い人生で「運がいい人」が、いつも運に恵まれているように
見えるのは、なにも「風任せの運」だけに頼っているわけでもないようです。
きっと運が試される場面でなくても、人には見えないところで血の滲むような努力を
積み重ねているのだろうと思います。
そういう人知れない努力の積み重ねがあるからこそ、たまたま絶好のチャンスに
出会ったとき、慌てず焦らず冷静に対応でき、キッチリとそのチャンスをものにする
ことが出来るのでしょう。
それが人には「運が味方している」ように見えるのかもしれません。
「運も実力のうち」とは、もう随分昔の私のサラリーマン時代によく聞いた言葉です。
また、「捨てる神あれば拾う神あり」、「苦あれば楽あり」と古くから言われてもいます。
これは「長い人生、そんなに捨てたもんではありません。だから、決して人生を投げ出して
は駄目ですよ」と古人が戒めた言葉でしょう。
なぜか貧乏神に好かれてしまい、「ジッとガマンのサラリーマン人生を長く送ってしまったり、
その後の独立も当初は大変な苦労を強いられたり」と「苦の時間」が長かった私の人生を
いつも後で支えてくれたのは妻でした。
この「我が人生最大の支援者」であった妻に先立たれてしまったり、挙句にはその妻の
介護疲労から脊椎管狭窄症を誘発、手術する羽目になったりと、私の「苦の時間」は、
結構深く長いようです。
ところがどっこい、私はそんなことにはヘコタレません。なぜなら、
「苦」が厳しければ厳しいほど、その後に来る「楽」もまた強く大きいことを知っている
からです。「苦あり遠方より来る、また楽しからずや」の心境なのです。
長いサラリーマン生活では、嫌な上司の下で、どうしても仕事をしなければならない
「運の悪い」時期にも遭遇してしまいます。その上司が、能力的に尊敬できないだけなら
いざしらず、その性格が「上にはゴマすり、部下には威張り散らす○○ドラマにでもよく
出てくるような類(たぐい)」の上司の下では、“もうなんだかこんな会社は辞めようかな“
と思ってしまうかもしれません。
しかし、ここでも、我慢が肝心です。なぜなら、どこの会社に行っても、こういう類(たぐい)
の上司はいるものだからです。転職しても、きっと同じような運命になる可能性が
大きいでしょう。
だから、上司とそりの合わない不遇な時期を迎えてしまったなら、その上司の下での
担当業務は適当にこなし(但し、手抜きがバレないように)余力を蓄え自己研鑽に励んで
自分自身をパワーアップしておき、嫌な上司の下から他部門へスカウトされるようなチャンス
を狙うのが賢明でしょう。
というのは、「どうせ上司のほうが早く死ぬのだから、ジッとして待っているのが勝ち」
と思えばいいのです。ここでの「死ぬ」という意味は、退職や異動も当然のことながら
含まれています。
長い目で見れば、本当に嫌な上司は、その不運な部下だけが「嫌な奴」と思っているだけ
でなく、他の社員もそう思っていることが多いのです。更には、その部下たちに嫌がれて
いることは、その上司よりも更に上の上司が察しているものです。だから、短気は
起こさない方がいいのです。
長い「苦の時間」を何とか乗り越えてきた苦労人の私(?)が言うのです。間違いありません!
“エー本当かな?やけに「苦」の時間は長かったけど、その割には「楽」は余り
来てないけどなぁ?”
前回の「育児短時間勤務」についての話は、如何でしたでしょうか。
今回は、「裁量労働者への半休付与」についての話をします。
──────────◆ 目 次 ◆──────────────
○裁量労働者への半休付与
───────────────────────────────
半日単位の年次有給休暇制度を設けている場合、専門業務型裁量労働制を
適用している社員に対しても半休を与える必要があるのでしょうか?
専門業務型裁量労働制とは、業務の性質上、 業務遂行の手段や方法、
時間配分等を大幅に労働者の裁量に委ねる必要がある業務として、
法令等に定められた19業務の中から、対象となる業務を労使協定で定め、
実際の労働時間 数とはかかわりなく、労使協定で定めた時間を労働した
ものとみなす制度です。
つまり、 裁量労働制が適用された場合、始業・終業時刻の決定や
1 日何時間働くかについて、労働者自身に委ねられており、その実際の
労働時間が何時間であっても、あらかじめ労使で定めた時間労働したもの
とみなされます。
一方、年次有給休暇は、裁量労働制で働く場合も当然に付与されますが、
年次有給休暇は1日単位の取得を原則としており、半日単位の年次有給
休暇制度は設けなければならないものではありません。半日単位の年次有給
休暇制度があることから、裁量労働制対象者から請求があったわけですが、
裁量労は、1日何時間働いても、あらかじめ労使協定で定められた時間働いた
ものとみなされることから、労働時間については自分で調整すればよく、
あえて半休を取得する必要はないということになります。
したがって、半休の請求があった社員に対しては、裁量労働制は業務の遂行の
手段および時間配分の決定など当該社員に委ねられているものであり、半休を
請求しなくとも、自分で労働時間を調整するよう、そして、有休を取るなら、
半日単位ではなく1日単位で取得するように促すのがよいでしょう。
なお、労働基準法上の管理監督者についても、労働時間・休日の適用が除外
されていても、年次有給休暇については、付与しなければなりませんが、
半休制度についてはあえて半休とする必要はないということになります。
事務所のホームページを更新しております。
ご興味のある方は、
http://www.node-office.com/index/index.html
または、
http://www.humansource.co.jp/ へどうぞ
当事務所所長 野手 茂 著の「サラリーマン講座 退職金・年金編」が 文芸社
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