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ネットの時代だから地脈、人脈でビジネスに繋げる:渋谷センター街の旗手(2)〜不動産業から人の繋がりを作る活動へ

2020.10.30

インターネットで誰もが手軽に多くの情報を得ることができるようになった近年だからこそ、直に人と会って繋がりを持つため、若くして商店街の振興組合に入り、地域活動を通しビジネスチャンスを広げてきた、渋谷センター街で営業する不動産会社・太平洋商事の代表取締役 鈴木大輔さん。

鈴木さんは、高校卒業後、父親が渋谷センター街で創業した太平洋商事に入社。不動産業を一から学び、地域に密着した地場業者として従事する傍ら、渋谷センター商店街振興組合・宇田川町会常務理事、(公社)東京青年会議所渋谷区委員会第45代委員長、東京商工会議所渋谷支部青年部副幹事長、(公社)渋谷法人会青年部会幹事、一般社団法人渋谷区SDGs 協会 代表理事を務めています。

前回のビューでは、地域活動で汗水流すことで、理事となりさまざまな企業の役員と親交を深め、大きなビジネスに繋がった経験談を紹介しました。今回は鈴木さんが理事になった経緯や、チャレンジしていること、今後の目指すことについて話を伺いました。

上役との衝突も…自分の意見をぶつけ認めてもらえた

——理事になって人脈を築き上げてきたというお話ですが、そもそも理事にはどうやったらなれるのでしょうか?

鈴木:そこはなかなか難しいハードルですが、2つポイントがあります。

父は何も地域の活動はやっていなかったですが、有り難いことにずっと渋谷で経営はしていたので、“長い”という実績がありました。理事になれた1つの大きな要因です。

もう1つは、理事にならなくても組合で汗をかけるか。センター街を含め渋谷駅周辺だけで13町会あるんですけど、何かあれば全部顔を出す。そこで僕みたいな若者がいると重宝されるんですね。簡単に言うとパシリにできるので(笑)。

パシリをずっとやっていたら、「お前頑張ってるな。ちょっと理事やってみないか」とお声がけいただきました。

——組合に入ってから理事にはどれくらいでなられたんですか?

鈴木:理事には2、3年くらいでなったと思います。スピード出世です(笑)。理事の中では僕がダントツで若くて年下です。そういった意味では何でもやったし、酒も飲んで付き合いもいいし、という感じでした。

——理事になられてからは何年くらいなんですか?

鈴木:理事から常任理事、常務理事になってと昇級しているんです。なので、約7年くらいですかね。

——では、30代前半からと。とても若い頃からですね。

鈴木:最初の頃は必死すぎてあまり覚えてないんですけど(笑)、30歳くらいから理事に入り始めたと思います。確かに、そう考えるとすごく若いですね(笑)。

——組合はどのような年齢層なのですか?

鈴木:組合員は200名くらいで、その中で理事が20名くらい、その上に常任理事会のメンバーが8名ほどいます。理事会は、街の人間プラス、商業施設など大型店も入れたメンバー構成。街の人間が中心となっているのが常任理事会になります。理事会にしても常任理事会にしても、30代は僕1人です。

——いろいろ汗を流している中で、鈴木さんなりの上の人達と仲良くなるテクニックや策はあるのでしょうか?

鈴木:結果論ですが、1度楯突いたことがあって、それが逆に良かった。2年間くらいずっと酔っ払うとそのときのことを言われ続けましたけど(笑)、ただパシられてペコペコしないというのが良いのかなと思います。一旦怒るけど認めてくれる、みたいな。

——「なかなか骨があるな」と。

鈴木:僕の場合の結果論ですけど。それで切られたらおしまいですけどね(笑)。

——でも、きちんと意見を言うことの大切さは、どこの業界にも当てはまる話ですよね。そして、そういった衝突があったあとも、積極的に参加して汗水流して動いていたから認めてもらえたのだと思います。

最近は渋谷のパイプ役に!コロナ禍でも新たな取組みを

——最近は新型コロナウイルスの影響で、渋谷もだいぶ客足が減っていたと思いますが……。

鈴木:まず、渋谷の街の人の少なさに震えました。有り難いことに、毎日渋谷がテレビに映るんですよ(笑)。それで観察できちゃうんですけど、本当にセンター街を歩いていても人通りが全然ないことがちょっと怖かったですね。「これは街が崩壊するな……」と思ったくらい、衝撃的でした。

——組合の方で「こうしていこう」など、方針の話し合いなどは?

鈴木:組合では、「補助金を出して助けよう」といったことはできないため、正直なかなか難しく。今までは活性化のためにイベントをやっていたんですが、コロナではイベントもできない。個人的に、青年会議所やバスケットボールチームとか、音楽をやっている人たちに声をかけて、空き店舗を利用してテイクアウトやお店を助けたり、チャリティーライブをやって医療従事者の方や社会福祉協議会に寄付をしたりはしました。

あとは、不動産のところでいうと飲食業がきついというのは、みなさん知っているんですけど、その裏を見ているので、賃料が払えないので減額してほしいとか、解約するにも退去のお金がかかるので払えないとか、その攻防がものすごい数ありましたね……。

——渋谷は賃料も高そうなので多そうですね……。今もだいぶ厳しいと思いますが、少し人が戻って来ましたよね。

鈴木:人はだいぶ戻ってきました。ただ、日中だけなんです。夜飲んでいたサラリーマンとかはまだ。居酒屋関係や飲食店はまだまだきついです。

——組合は補助金など出せないということですが、何か“盛り上げていこう”という対応や対策のお話はあるのでしょうか。

鈴木:これは僕が個人的に主体になって、センター街が後援という形で、宇田川クランクストリート向上委員会を発足しました。センター街の裏道で、タバコやゴミで汚いく、元々危険ドラッグなど売買されている場所があります。そこを防犯とクリーンを目的にイベントで盛り上げていこう、ということで、初めて10月にストリートライブ「シブライブ!」 を開催しました。

我々理事はセンター街をパトロールしているんですけど、センター街の入口で路上ライブをやっている若者を見つけると、警察を呼んで解散させるんですよ。それは法律違反なのでしょうがないんですけど、僕らパトロール隊は、夢に向かっている人に本当は頑張って欲しいんです。今回は若者の夢を追いかける「合法」の場を作ったという試みになります。

——渋谷で初めての試みというのが意外です。

鈴木:渋谷音楽祭みたいなものはあったりするんですけど、ストリートライブは初めてですね。今回はあくまでスラム街のようになってしまった路地の防犯とクリーンを目的にしているのと、夢を目指している若者と一緒に取り組みたいと思い企画しました。

——鈴木さんが入ったことによって、組合の雰囲気や方向性が変わったと言われたりしますか?

鈴木:組合自体が変わったかというとわからないですが、外からあまり直接話を通せなかったところが、僕を介して通せるようになったとは言われます。

やっぱり渋谷なので、大きな広告代理店さんが案件を持ってくることがあるんです。そういったところが話を持ってくると、「なんか部外者が来たよ」という感じになるんですけど、僕が間に入ることによって、話しやすくなったといわれます。最近はそういう役回りもしていますね。

——パイプ役のような。

鈴木:そうですね。そして、若い人の尖った企画は説明の仕方が重要なので、僕が間に入ることで上手く回っているというのはあるかもしれないです。

——それで今までまわっていたことが少し不思議です…。渋谷センター街は若い人が集まるメインストリートなので。

鈴木:商店街は本当に若い理事がいないんです。最近少し思っているのが、もっとセンター街をクリエイティブな街にしたいなと考えています。センター街ならもっと面白いイベントができると思うんです。それをタイミングをみながらやっていきたいなと考えています。

相続問題を見て親孝行メディアを立ち上げ…今後は人との繋がりを作る活動をしていきたい

不動産業の立場から親子の関係を良くしていきたいと語る鈴木大輔さん

不動産業の立場から親子の関係を良くしていきたいと語る鈴木大輔さん

——どんどん新しいことに取り組みたいというお話もありましたが、個人的にやっていきたことは?

鈴木:僕は「職業何?」と聞かれると、「鈴木大輔」と言うんですよ(笑)。不動産業だけでもないし、地域の活動やいろいろなことをして、個人がもう職業みたいな言い方をしているんですけど、今後は人と人との繋がりを作るソーシャルの部分をやりたいと最近思っていて。

1つは、「MANABUYA(マナブヤ)」といって、中学生に起業やビジネスを教えるスクールを東京青年会議所渋谷区委員会で作ったんです。これは、自分が全然ビジネスを学ばずに社長になってしまってものすごく苦労したことが背景にあります。今、僕は子供が4人いるんですけど、普通の勉強だけではなく、生きていく力を教えたくて、中学生向けの起業スクールみたいな感じでレクチャーを行っています。

ほかにも教育部分だと、渋谷区SDGs協会というのを立ち上げて、高校生にオンラインスクールで無償でスキルを学んでもらって、企業に自分たちでインタビューしてライティングまでやってもらう企画も行っています。

色々やっていくうちに、教育とビジネスという気持ちが僕の中で強くなってきたので、そっちを今やっていきたいなという思いが芽生えてきました。

そして教育以外では、親孝行メディアの「KOKARA(コカラ)」というものを立ち上げました。親孝行って普段は少し照れくさかったり、さらにコロナで実家に帰れないというタイミングだったりしたこともあり、なかなかできていないと思うんですよね。

そこで「もっと親孝行しようよ」という入口になるフォトマガジンをイメージしていて、親に贈るものなどを紹介しています。例えば、僕の親もそうですけど、バスタオルを買えないわけじゃないのに、もったいなくて固くなるまで使っていたりするので、こちらから贈ったりするとすごく喜ばれたりする。クールシーツも買えばいいのに、贅沢品だから買わないとか。そういった、ちょっと貰うと嬉しいものを扱っています。

——親孝行メディアとは、贈り物をしたいときに重宝しそうです。

鈴木:子から親へ、という思いを込めて名前を「KOKARA(コカラ=子から)」にしたんですけど、背景には本業の不動産業が関係していて。不動産の相続問題が出てくると、兄弟喧嘩をして裁判をやっているところをたくさん目にするんです。親と弟や妹にも弁護士がついて、弁護士が3者入って争うとか。それがどうやったら解決できるかと思った時に、親と子のコミュニケーションが足らないんじゃないかと思って、メディアを作りました。

——相続で揉める前に親孝行して仲の良さを築いていこうというものなんですね。

鈴木:渋谷だと何億円というビルを持つオーナーさんが多いので。揉める原因って僕が見てきてところだと「遺言書を書いてない」「コミュニケーション不足」の2つだけなんです。それで、遺言書を書かせるというのは僕の不動産業の強いところなので、もう1つのコミュニケーションのところをどうしたらいいかな、と考えたときに、「KOKARA」が生まれました。

——相続問題からメディアを作ろうという発想がすごいですね。

鈴木:これもいろんな人と出会って頭の体操をして。今は「不動産を売ってください」と言って「じゃあ売るよ」という時代じゃないので。「どうしたら物件を売ってもらえるのかな?」と考えた時に、必ず相続をお子さんがするので、僕らがコミュニケーションをとって、どう整理するかなと考えていきました。

例えば、今後「KOKARA」を使って、ビルオーナーのお子さんに取材をしに行く。「今後この不動産のことをどう考えてますか?」と。そこからヒントを得て、弁護士や会計士とチームを組んで「こうやっていきましょう!」と解決していくという道筋を考えています。

——コミュニケーションメディアからそういった展開まで!

鈴木:まだ序盤ですが(笑)。

——不動産は人生と密接に関わるものなので、いろいろ繋がってきますね。

鈴木:だから、不動産というより、財産コンサルみたいなものに近いですね。お客さんは三代に渡ってお世話になっていたりするので。

最近は新しいことをいっぱいやりたくなっちゃう感じがあるんです(笑)。不動産が僕の中で本業だったんですけど、それがあくまでも収入を得るためのツールになってきて。それは当然大事なところなんですけど、それを使って他にソーシャルの部分をやっていきたいなと思ってきています。

ネット時代だからこそ、地脈、人脈が重要だと気がついて、地域のために駆け回ってきた鈴木さん。そこからさらに、ソーシャルやSDGsにまで活動の場を広げています。そして、その活動が本業のビジネスにもきちんと役立っている。これからの時代の企業経営において、参考になるひとつのモデルではないでしょうか。

写真撮影:伊藤 秀俊