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コンピテンシーを磨けば仕事のできる人になれる◆◆
<第363回>賢人の
コンピテンシーをベンチマークする!<その56>
==■「幼少期の流転人生にもめげず名俳優になった前田吟氏の自立志向!」■==
===================================
人は誰でも能力を保有しています。しかし、せっかくの保有能力が宝の持ち腐れとなり、成
果に結び付けられない人が実に多いのです。
「賢人の
コンピテンシーをベンチマークする」と題して分かりやすく解説していきます。
コンピテンシーを磨けば誰でも仕事のできる人に自己変革できます。経営トップ・管理者・
社員の皆様、そして求職中の
離職者の方や就職を目指す学生さんにも是非ともお読みいただ
きたいと思います。
===================================
■忙しい人はとりあえず流し読みして下さい。後でゆっくり読み直していただくと理解が一
層深まります。(
コンピテンシー宣教師より)■
<今回のメニュー>
=================================
【1】不遇な生い立ちで流転人生を送る!
【2】演劇研究所に応募し、家具屋をクビになる!
【3】東京芸術座研究所の一期生になる!
【4】山田洋次監督との出会いで売れっ子俳優に!
【5】賢人から学ぶべきこと!
【6】編集後記
=================================
賢人と呼ぶにふさわしい人は、すばらしい「行動特性」を持って行動している。だからすば
らしい仕事の結果を出すことができるのだ。我々は賢人の
コンピテンシーをベンチマークし
ない手はないのだ。
【1】不遇な生い立ちで流転人生を送る!
俳優前田吟氏の幼少期は不遇だった。父は同盟通信(現共同通信)の記者で妻子持ち、母は
タイプライターの教師で独身。つまり不倫関係の子としてこの世に生を受けた。生まれて
100日目ごろに前田家の
養子として出される。だが5歳のとき養母が亡くなり、12歳のとき養
父を亡くす。
養父が健在だったときも借金まみれで生活は苦しかった。養父が不在のあるとき実の母が訪
ねてきて100円を前田信明(本名)少年に渡して帰った。罪滅ぼしのつもりだったのかもし
れない。実の母は別の男性の元に後妻に入り、暮らし向きはまずまずだったらしい。
信明少年は帰宅した養父にありのままを話して100円を渡したが、養父は怒り狂い、その100
円を破いて火鉢に投げ入れ燃やしてしまった。抱えていた借金は全て払えたのに・・・。
養父が亡くなり、信明少年は知り合いの家を転々とする流転生活に。だが、中学のとき学芸
会で孫悟空のある役を演じたとき、先生が「あなた、演劇の素質があるわね。将来は俳優を
目指したらどう」と言われた。その一言が心に残ることになった。
中学卒業後は防府高等学校に進学するが1年で中退。実の母の口利きで大阪の家具屋に就職
することになる。別れ際、母は「もしヤクザになったら絶対に戻ってこないでね」と言った。
その言葉はきつい一言だった。不遇な人生でも真人間として生きる原動力になった。
【2】演劇研究所に応募し、家具屋をクビになる!
家具屋に就職したが仕事言えばほとんどが家具の配達の仕事。
自転車にリヤカーを繋いでの
運搬は重労働だった。休みの日に黒澤明監督の「野良犬」や「七人の侍」を見て感動。内緒
で演劇研究所に応募してみた。演劇研究所から面接に来るようにとのはがきが届き、そのは
がきが店主の目に触れることとなる。
あっさりクビを宣告された。店主の奥さんに送られて防府駅まで帰った。「預かったあなた
を間違いなく防府駅まで送り届けましたから」と言われて店主の奥さんとは駅で別れた。し
かし信明少年は実の母の元へは帰らず、その日のうちに大阪へ向かった。そして例の演劇研
究所に通い、それと並行して通信教育の高校に入学し、高校卒業の資格を取得する。
【3】東京芸術座研究所の1期生になる!
1962年、本格的に役者を目指して上京し、東京芸術座研究所の第1期生となり、1963年、劇
団俳優養成所の15期生となる。同期には地井武男、原田芳雄、夏八木勲、女性では栗原小巻、
太地喜和子などがいる。
信明氏は食べていけないので工事現場で働いたり、印刷工、サンドイッチマンもやりながら
役者になるチャンスをうがった。ところが1964年に芸術座の2学年上の女性と結婚してしまう。
女房を養わなければならなくなった折も折り、同年に「判決」でデビューすることができ、
1965年には「純愛」(朝日放送)に主役で出演できた。1968年には現在の前田吟に改名して
「ドレイ工場」で誠実な工員役を演じた。
【4】山田洋次監督との出会いで売れっ子俳優に!
その「ドレイ工場」の試写会にあの山田洋次監督が見にこられた。そこで初めて面会した前
田吟氏は山田監督にお褒めの言葉を頂く。それが縁で1969年、山田監督の「男はつらいよ」
に出演することができた。寅さんの妹さくらに惚れる印刷工、諏訪博役として出演したのだ。
この役に前田吟氏の人柄がベストマッチし、さくらと結婚した博として48作全てに出演する
ことになる。テレビではTBSテレビの「渡る世間は鬼ばかり」やNHKの大河ドラマにも
何度も出演、最近はNHKの朝ドラ「マッサン」でも円熟した演技を見せた。
【5】賢人から学ぶべきこと!
中学時代に先生が「あなた、演劇の素質があるわね。将来は俳優を目指したらどう」と言わ
れた。あのときの言葉が忘れられない。それを呼び覚ましたのが黒澤明監督の「野良犬」や
「七人の侍」という映画だった。「初志貫徹」。これが前田吟氏の一本気な性格だ。
不遇な流転生活は子供が生きるためにはつらい環境だ。そのような境遇の子のたどる道は不
良、チンピラ、最後はヤクザの道だろう。だが前田吟氏は決して人の道を外さなかった。
あるとき「徹子の部屋」に出演したことがあった。番組の中で悪びれることもなく、自分の
生い立ちを話した。そのとき、養父の前田胤一(たねいち)さんのことも話した。流転生活
で転々としていたこともあり、どこのお墓に入っているのかさえも分からないと話した。
「徹子の部屋」の放送が終わってしばらくして、あるお寺の住職から電話があり、「うちの
お寺で胤一さんの遺骨を預かっている」と聞かされた。前田吟氏は奥さんを連れて直ぐにそ
のお寺に行き、供養をしたそうだ。人の恩義を忘れない立派な人格者なのである。
人格もすばらしいが、前田吟氏の自立志向は最大の学ぶべき点ではないかと思う。
【6】編集後記
人は誰でも自分の人生は波乱万丈と思っている。だが、波乱万丈の深さは人それぞれだろう。
今もわけあって親の元では暮らせない子供たちが施設や里親の下で暮らしている。どうか前田
吟氏のように強く生きてほしいと願う。
<今回は、BS-TBSの「関口宏の人生の詩」も参考にさせて頂いた。>
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
発行責任者:さいたま市中央区上落合5丁目19-29
彩愛コンサルピア代表 下山明央
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==■「幼少期の流転人生にもめげず名俳優になった前田吟氏の自立志向!」■==
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人は誰でも能力を保有しています。しかし、せっかくの保有能力が宝の持ち腐れとなり、成
果に結び付けられない人が実に多いのです。
「賢人のコンピテンシーをベンチマークする」と題して分かりやすく解説していきます。
コンピテンシーを磨けば誰でも仕事のできる人に自己変革できます。経営トップ・管理者・
社員の皆様、そして求職中の離職者の方や就職を目指す学生さんにも是非ともお読みいただ
きたいと思います。
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■忙しい人はとりあえず流し読みして下さい。後でゆっくり読み直していただくと理解が一
層深まります。(コンピテンシー宣教師より)■
<今回のメニュー>
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【1】不遇な生い立ちで流転人生を送る!
【2】演劇研究所に応募し、家具屋をクビになる!
【3】東京芸術座研究所の一期生になる!
【4】山田洋次監督との出会いで売れっ子俳優に!
【5】賢人から学ぶべきこと!
【6】編集後記
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賢人と呼ぶにふさわしい人は、すばらしい「行動特性」を持って行動している。だからすば
らしい仕事の結果を出すことができるのだ。我々は賢人のコンピテンシーをベンチマークし
ない手はないのだ。
【1】不遇な生い立ちで流転人生を送る!
俳優前田吟氏の幼少期は不遇だった。父は同盟通信(現共同通信)の記者で妻子持ち、母は
タイプライターの教師で独身。つまり不倫関係の子としてこの世に生を受けた。生まれて
100日目ごろに前田家の養子として出される。だが5歳のとき養母が亡くなり、12歳のとき養
父を亡くす。
養父が健在だったときも借金まみれで生活は苦しかった。養父が不在のあるとき実の母が訪
ねてきて100円を前田信明(本名)少年に渡して帰った。罪滅ぼしのつもりだったのかもし
れない。実の母は別の男性の元に後妻に入り、暮らし向きはまずまずだったらしい。
信明少年は帰宅した養父にありのままを話して100円を渡したが、養父は怒り狂い、その100
円を破いて火鉢に投げ入れ燃やしてしまった。抱えていた借金は全て払えたのに・・・。
養父が亡くなり、信明少年は知り合いの家を転々とする流転生活に。だが、中学のとき学芸
会で孫悟空のある役を演じたとき、先生が「あなた、演劇の素質があるわね。将来は俳優を
目指したらどう」と言われた。その一言が心に残ることになった。
中学卒業後は防府高等学校に進学するが1年で中退。実の母の口利きで大阪の家具屋に就職
することになる。別れ際、母は「もしヤクザになったら絶対に戻ってこないでね」と言った。
その言葉はきつい一言だった。不遇な人生でも真人間として生きる原動力になった。
【2】演劇研究所に応募し、家具屋をクビになる!
家具屋に就職したが仕事言えばほとんどが家具の配達の仕事。自転車にリヤカーを繋いでの
運搬は重労働だった。休みの日に黒澤明監督の「野良犬」や「七人の侍」を見て感動。内緒
で演劇研究所に応募してみた。演劇研究所から面接に来るようにとのはがきが届き、そのは
がきが店主の目に触れることとなる。
あっさりクビを宣告された。店主の奥さんに送られて防府駅まで帰った。「預かったあなた
を間違いなく防府駅まで送り届けましたから」と言われて店主の奥さんとは駅で別れた。し
かし信明少年は実の母の元へは帰らず、その日のうちに大阪へ向かった。そして例の演劇研
究所に通い、それと並行して通信教育の高校に入学し、高校卒業の資格を取得する。
【3】東京芸術座研究所の1期生になる!
1962年、本格的に役者を目指して上京し、東京芸術座研究所の第1期生となり、1963年、劇
団俳優養成所の15期生となる。同期には地井武男、原田芳雄、夏八木勲、女性では栗原小巻、
太地喜和子などがいる。
信明氏は食べていけないので工事現場で働いたり、印刷工、サンドイッチマンもやりながら
役者になるチャンスをうがった。ところが1964年に芸術座の2学年上の女性と結婚してしまう。
女房を養わなければならなくなった折も折り、同年に「判決」でデビューすることができ、
1965年には「純愛」(朝日放送)に主役で出演できた。1968年には現在の前田吟に改名して
「ドレイ工場」で誠実な工員役を演じた。
【4】山田洋次監督との出会いで売れっ子俳優に!
その「ドレイ工場」の試写会にあの山田洋次監督が見にこられた。そこで初めて面会した前
田吟氏は山田監督にお褒めの言葉を頂く。それが縁で1969年、山田監督の「男はつらいよ」
に出演することができた。寅さんの妹さくらに惚れる印刷工、諏訪博役として出演したのだ。
この役に前田吟氏の人柄がベストマッチし、さくらと結婚した博として48作全てに出演する
ことになる。テレビではTBSテレビの「渡る世間は鬼ばかり」やNHKの大河ドラマにも
何度も出演、最近はNHKの朝ドラ「マッサン」でも円熟した演技を見せた。
【5】賢人から学ぶべきこと!
中学時代に先生が「あなた、演劇の素質があるわね。将来は俳優を目指したらどう」と言わ
れた。あのときの言葉が忘れられない。それを呼び覚ましたのが黒澤明監督の「野良犬」や
「七人の侍」という映画だった。「初志貫徹」。これが前田吟氏の一本気な性格だ。
不遇な流転生活は子供が生きるためにはつらい環境だ。そのような境遇の子のたどる道は不
良、チンピラ、最後はヤクザの道だろう。だが前田吟氏は決して人の道を外さなかった。
あるとき「徹子の部屋」に出演したことがあった。番組の中で悪びれることもなく、自分の
生い立ちを話した。そのとき、養父の前田胤一(たねいち)さんのことも話した。流転生活
で転々としていたこともあり、どこのお墓に入っているのかさえも分からないと話した。
「徹子の部屋」の放送が終わってしばらくして、あるお寺の住職から電話があり、「うちの
お寺で胤一さんの遺骨を預かっている」と聞かされた。前田吟氏は奥さんを連れて直ぐにそ
のお寺に行き、供養をしたそうだ。人の恩義を忘れない立派な人格者なのである。
人格もすばらしいが、前田吟氏の自立志向は最大の学ぶべき点ではないかと思う。
【6】編集後記
人は誰でも自分の人生は波乱万丈と思っている。だが、波乱万丈の深さは人それぞれだろう。
今もわけあって親の元では暮らせない子供たちが施設や里親の下で暮らしている。どうか前田
吟氏のように強く生きてほしいと願う。
<今回は、BS-TBSの「関口宏の人生の詩」も参考にさせて頂いた。>
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彩愛コンサルピア代表 下山明央
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