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ペット入り緑茶をビジネスにした伊藤園の執念!

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      シリーズ「第二創業の実践の中で仕事のできる人の集団を作る!」

   <第457回>[(第17話)「ペット入り緑茶をビジネスにした伊藤園の執念!」]

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今話題の「会社を救うコンピテンシー」とは何かとコンピテンシーの導入の必要性に
ついて、分かりやすく解説します。今回のシリーズでは「第二創業の実践の中で仕事
のできる人の集団を作る!」と題して様々な角度から鋭く分析した良質の記事を紹介
していきます。きっとお役に立てると思います。中小企業の経営者の方、管理者の方、
人事担当者の方に是非ともお読みいただきたいと思います。

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今回のメニュー
【1】心に刻んでおきたい言葉
【2】お茶はただという常識の中で!
【3】缶入り緑茶で奮闘するも!
【4】大手参入の中、シェアは常に一位!
【5】編集後記

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いまや緑茶市場は4000億円とも5000億円市場とも言われている。その市場を真っ先に
開拓したのは伊藤園だった。これはビジネスになると思ったとたん、異業種の花王が
「ヘルシア緑茶」で参入した。さらにはサントリーが「伊右衛門」で参入してきた。

伊藤園は「お茶っ葉」の問屋だった。小売店へ卸すのが主な仕事だ。「お茶っ葉」と
言ってもピンからキリまである。街の食堂や会社の食堂では安い「お茶っ葉」を使用
するのが通例だ。寿司屋では大きな湯飲み茶碗になみなみ注いだお茶を飲みながら寿
司を食べる。中ぐらいのランクの「お茶っ葉」を使う。料亭や一流旅館では少し高級
な「お茶っ葉」を使う。いずれもお茶はただ、そうサービスと言う位置づけで扱われ
てきた。

「お茶っ葉」だけで儲けるには限度がある。創業者の本庄八郎氏は付加価値を高めて
売上・利益を伸ばしたいと考えた。

1975年ごろ、缶入りのお茶を開発して販売することを思いついた。研究開始から足掛
け9年、缶入りの煎茶が出来上がった。ところが加熱殺菌するとお茶の色が変色して
しまう問題にぶつかった。しかし、何とかそれを解決した。しかし、発売から4年も
経つのにちっとも売上が伸びなかった。

コンビニなどではなかなか置いてもらえない。しかも若者は「マエチャって何です
か?」と店員に質問する始末だった。ネーミングからしてインパクトがなかった。
そこで1985年に「お~いお茶」とネーミングを買えた。ご主人が奥様に日常的に話
す言葉をそのままネーミングにしたのである。これだけでも前年の3倍の36億円を売
り上げた。さらに小型ペットボトルに詰めて売り出すことで大きな市場を開拓する
ことができたのである。

今回は緑茶市場を開拓した「伊藤園の第二創業」」を採り挙げる。



【1】心に刻んでおきたい言葉

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緑茶第一次戦争が始まろうとしているとき、社内から儲けるために自社農園や自社
工場を持つべきと言う提案があったが、「関係各社への義理を欠くことはできない」
と毅然と表明しました。このような信頼関係から当社が商品開発で難航を極めたと
きも皆さんが協力してくれたのです。


       本庄八郎


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【2】お茶はただという常識の中で!

伊藤園は高度成長期の1966年の設立。お茶業界として葉後発だった。当時は「お茶
っ葉」は量り売り。だが伊藤園は真空パックを開発して急成長した。1970年代に入
ると食の欧米化が進み、お茶離れが進み、売上が停滞した。本庄八郎社長は危機感
を抱き、どこでも飲める缶入り緑茶の開発に挑んだ。



【3】缶入り緑茶で奮闘するも!

缶入り緑茶開発のプロジェクトリーダーは商品企画室の社(やしろ)三雄氏。開発
を始めるとさまざまな壁に直面した。緑茶は酸素や熱に弱く、缶詰にすると茶色に
変色してしまうのだ。社氏は製造技術や「お茶っ葉」の加工方法に改良を加え、よ
うやく1985年に世界初の缶入り緑茶「煎茶」の発売にこぎつけた。

「お茶を100円で売る?そんなものうれるわけがないだろ!」。お茶はサービスでた
だ。これが日本の伝統的文化だった。しかも「煎茶」という漢字が読めない人が多
い。そこで1989年「お~いお茶」とネーミングを変えた。若者の支持を得て販売量
が飛躍的に伸び、36億円を売り上げた。

2000年に第一次緑茶戦争が勃発した。キリンが生茶で参入してきた。サントリーは
京都の老舗とコラボレーションし、伊右衛門」で参入してきた。もっくんと宮沢え
りを使ったCMも受けた。

伊藤園はペットボトル入りの「お~いお茶」を開発し、奪われたシェア奪還に挑ん
だ。熱に強いペットボトルの開発に成功し、温かいお茶を提供するたためウォーマ
ー10万台を扱ってくれる小売店10万店に無償で配った。

取引先に義理を欠かない経営理念が威力を発揮した。契約栽培で「お茶っ葉」の質
を高めることができた。伊藤園は自社製造は行わずファブレス経営を貫いたため、
協力工場が全面的に協力してくれた。熱に強いペットボトルの開発でも取引先は全
面的に協力してくれたのだった。取引先との「信頼」が伊藤園の命綱なのである。



【4】大手参入の中、シェアは常に一位!

キリンやサントリーに次いで花王が茶カテキンを増量した「ヘルシア緑茶」で参入
してきた。これを第二次緑茶戦争と称する人もいる。

伊藤園のシェアのピークは36%だったが、一時は28%まで落ちた。しかしその後挽
回してずっと30%以上を堅持している。もちろんシェアトップは譲らない。

いんりょうの市場は千三と3言われている。つまりヒットするのは1000のうちたった
3つと言うことだ。ちなみに売上ランキング5位はアクエリアス、4位はBOSS
缶コーヒー、3位がコカコーラ、2位がお~いお茶、1位がジョージア缶コーヒーだ。
残りはその他大勢と言うことになる厳しい世界なのだ。伊藤園の頑張りがひときは
目立つ。



【5】編集後記

「お茶っ葉」の量り売りから真空パック詰めを開発し、飛躍的に業績が伸びた。し
かし危機感が第二創業へと駆り立てた。9年の歳月を費やして缶入り緑茶「煎茶」の
発売にこぎつけた。

お茶はどこでもただと言う文化が根付いており、販売が伸びずに苦戦を強いられた
が、夏は冷たく、冬は温かくと言うコンセプトでついに緑茶飲料のトップランナー
になることができた。

ぶれないコンセプトと協力会社と信頼の絆が伊藤園の強さなのである。


=長文を最後までお読みいただきましてありがとうございます。=



第二創業に挑戦したい企業様からのご連絡をお待ちします。



コンピテンシーの導入について支援します。ご相談はこちらへ
⇒ 3223898301@jcom.home.ne.jp



次回に続く。



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発行責任者:さいたま市中央区上落合5丁目19-29
        彩愛コンサルピア代表 下山明央
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