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経営テクノ研究所
2013年12月16日第1・3週月曜日発行
発行人:舘 義之
http://www9.plala.or.jp/keiei-techno/
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★★経営のパートナー★★経営学で企業を再生する
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<目次>
★経営者には高潔な人格・論理観が不可欠
★ちょつと苦言:明鏡止水(めいきょうしすい)
★経営者には高潔な人格・論理観が不可欠
★編集後記
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★経営者には高潔な人格・論理観が不可欠
1.高潔な人格を形成せよ
人格というものは、単なる容姿の美しさよりも素晴しく、学識の深さより
も力強いものです。したがって、ある人物の魅力的な人格が、権力者にも影
響を及ぼし、ときにはその国の命運さえ左右することがあります。
また、人格は先天的に備わった資質だけではなく、忍耐、優しさ、寛容、
謙遜、礼儀、素直さ、誠実さといった後天的な要素が醸しだす独特な雰囲気、
そういつたものが混然一体となって、一人の人間の人格というものが形成さ
れると言われています。つまり、その人だけが発散する全体像なのです。
このように人格は、高次元な世界であり、知的生物の人間だけがつくりだ
している誇らしい世界なのです。教養や勇気は、豊かな人格を育むために手
を貸しながら、この高次元の世界に私たちを昇華させていきます。
知性と道徳は、人格形成の2大要因であると言われています。知性は、学
問によって高めることができます。道徳は、属する社会によって育まれた生
活のあり方で決まります。
新渡戸稲造が愛惜の念を込めた武士道精神も、鎌倉、室町の各時代を経て、
少しずつ姿を変え、江戸時代に開花しました。その中で最も美しく咲いたの
は会津武士道でした。
これらの時代精神は、時代の人格形成の根幹をつくるものですが、それに
もろもろの伝統的、個人的習練や教養が加わって、その人間のもつ人格や品
性が具現化されたのです。たとえば、「嘘をつかない、騙さない、弱い人を
助ける」、これは古い歴史の積み重ねから形成された道徳観であり、人格を
形成する大きな要因なのです。
このように見てくると、経営者が行う業務の遂行、自己犠牲、勇気など、
これらも犯すべからざる相応の人格を現わすものといえます。
2.高潔な論理観を持て
経営者が企業の根本的な変革を行うことは当然なことですが、その中には
高潔な論理観がなければなりません。
企業にとって、論理観というものが非常に必要であることは間違いありま
せん。論理観というものは、経営理論も意思決定論も使えません。なぜなら、
論理観の根本は、感情にあるからです。つまり、理性・知性・論理を超えた
ところにある感情こそが論理観の原点になるからです。
したがって、良き感情は良き論理に勝り、悪しき感情は悪しき論理より劣
るのであり、さらに、良き常識は、良き論理に勝るものになるのです
会津藩の藩校に入る前の子弟に対して「什(じゅう)の掟」があり、その
最後に「ならぬことはならぬものです」と結ばれていますが、まさしく感情
そのものなのです。言葉をかえて表現すれば価値観といえます。
企業経営も同じです。経営者として、一体何を目標に企業をやっていくの
か、それを深くつきつめて考えなければならないと思うのです。その価値観
が明確にされたならば、
従業員の隅々にまで、それを浸透させることが必要
です。
アメリカの企業でも、日本の禅とか、あるいは老子、荘子、孔子という東
洋の思想が研究されるようになりましたが、これはやはり経営者にとって価
値観というものが最も必要だということを認めているからだといえます。
石田梅岩(ばいがん)は、商人道で商行為の正当性について、仁・義・礼
・智の心が信を生むのです。つまり、商人が、(1)仁(他人を思いやる心)
(2)不義(人として正しい心)(3)礼(相手を敬う心)(4)智(知恵
を商品に生かす心)という4つの心を備えれば、お客様の(5)信(信用・
信頼)となって商売は、ますます繁栄すると説いているのです。
このように見てくると、誰も見ていなくても、誰かに報告しなくても、貫
く価値観が論理観といえます。
3.会津武士道に見る論理観とは
バブル崩壊後に起きた政治・経済・官僚・マスコミなどの不祥事は、日常
生活の規範であった論理まで崩壊させてしまいました。
そして、発覚すると大半は、卑怯な発言をします。「私のせいではない」
とか、「知らなかった」とかを、しきりに言います。大人が子供を虐したり、
殺したり、あるいはリストラや
成果主義などで弱者をより弱者扱いにします。
これらは、すべて卑怯といえます。心が卑しすぎます。
会津藩の家庭では、子供を外出させるとき、母親は子に向かってこのよう
に訓戒したと言います。「卑怯な振る舞いは絶対にしてはなりませぬぞ」。
弱い者いじめは、卑怯な振る舞い以外の何ものでもありません。当時の会津
の家庭ではとても考えられないことでした。
もし、わが子が弱い者いじめをしたとなれば、母親は黙って短刀をこの前
に置き、立ち去ったといいます。子は清潔な下着と着物に着替えて、そのよ
うな振る舞いをした我が身を恥じて切腹しました。これが武士道であり、い
まの子供ではとても考えられないことだと思います。
会津武士道に見る日本人の論理観は、生き残って受ける恥よりも、死を選
ぶ覚悟は、名誉を重んじていたかつての日本人の心そのものでした。
経営者対する期待は、いかにあるべきかというよりも、なすべきことをな
し遂げることにかけられているのです。しかも、それだけではなく、その遂
行において、効果的であることを期待されているのです。
そして、成果を上げるために手段を選ばず、といったやり方ではいけない
のです。まず、経営者自身が、確固たる論理観を持って企業運営に当たらな
ければなりません。それが経営者としての使命なのです。そうでなければ市
場は、ますます離れていくことになります。
4.あたたかいヒューマニティを持て
経営者は、孤独なものです。その淋しさに耐えようとする感情が、経営者
をわがままにします。そして、いつしか自分を喜ばせてくれる人を好きにな
ります。この自己の甘えが、経営者自身の先入観やものの見方、枠組みでマ
ネジメントをゆがめる依怙ひいきの感情を育てることになります。したがっ
て、経営者たる者は、誰よりも厳しく自己の感情を統制しなければなりませ
ん。
また、感情の起伏が激しい経営者は、あらゆることに拒絶的な態度をとろ
うとします。聞く耳は持たずという態度をとり、それを平然と口に出すよう
になります。この点をリポートという学者が感情の論理学で、次のように述
べています。
感情の論理では、「矛盾は一向に平気である。一方で白を黒といい、他方
では白を赤と言っても平気なのである。だから、始末がわるい。その内なに
も信じなくなる」確かに、人間は感情の動物であると言われているように感
情を常に安定させるということは難しいかもしれません。しかし、感情を安
定させるための努力をしなければなりません。
では、感情を安定させるためには、どうしたらよいかといえば、それは冷
静さを失わないということです。冷静さというのは、冷たいということでは
なく、むしろあたたかいヒューマニティなのです。
ヒューマニティとは、調子のいいことではありません。
従業員が考えてい
ることや感じていることを性格に感知する感受性と個々の
従業員に応じて適
切な行動の仕方がとれる柔軟性を持つことが、本来のヒューマニティなので
す。
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★ちょつと苦言:明鏡止水(めいきょうしすい)
一点のくもりもなくみがきあげた鏡と、静止して動かぬ澄んだ水のことで、
静かに澄んで動揺しない心境の例えをいいます。
荘子(そうし)によると、魯(ろ)の国に王駘(おうたい)という人がい
て、彼は刑によって足を切られた不具者でしたが、学徳の高いことで評判だ
ったのです。
孔子(こうし)の弟子が、なぜそんなに評判が高いのだろうとたずねると、
孔子は、王駘が聖人の域に達しているからだと教え、それでは、なぜ多くの
人から慕われているのだろうかと尋ねました。
すると、「それは王駘の何ものにも動かされない心の静かさのせいだ。人
が自分の姿を水にうつして見ようとするときには、流れる水ではなくて、止
水(静かに止まっている水)を鏡とするであろう。それと同じで、常に動揺
しない心を保っている者だけが、他の人にも心の安らかさを与え得るからだ」
と教えました。
これが「止水」の出所です。また、「明鏡」については「至徳の聖人の心
の用いかたは明瞭にたとえられる。明鏡は美人がくれば美人を写し、醜婦が
くれば醜婦を写して、小さな自分の心を動かさない。そのものが去ればあと
かたを止めないから、いくらでも物を写して、しかも自分の明を傷つけるこ
とがない。至人の心の用いかたもこれと同じで差別も執着もないから自由で
いられるのだ」と荘子が語っています。
部下の才能、人柄を見分けることは難しいものがあります。その難しさは
部下のほうにあるのではなく、見る側の上司のほうにある場合が多いといえ
ます。
では、どうしたら部下の才能や人柄を見分けることができるのでしょうか。
澄み切った心で部下を見つめ部下の持つ潜在的な能力を活かすようにすべき
です。そのためには、次に述べる五つのポイントが挙げられます。
1.第一印象に支配されない
第一印象、これは多くの上司がともすればとらわれがちなものです。ある
人に対する好き嫌いの感情も第一印象から発することが少なくはないのです。
上司の陥りがちな第一印象は仕事の経験と自己観察による評価、それに第三
者からの風聞があります。
最初に会った瞬間、「なんて愛想のない男だろう」と印象づけられると、
その部下が最後まで無愛想な男と見えてしまいます。
また、最初に怠けている恰好を見てしまうと、いつまでもその印象がきえ
なくて、「よく働く」と外から言われても「いや怠け癖がある」といいたく
なったりするものです。
このように人間は、人間を評価するのに、第一印象に支配されることが多
く、この第一印象は、多くの場合、その一部を見ただけであって全体を見た
ものではなく、ましてや深く調べたり研究したものではないので、当ってい
ない場合が多いものです。
一部を見ただけで全部を判断してしまうのは危険です。部下を評するのに
第一印象に支配されてしまってはいけません。第一印象で評価することは、
自ら誤解、偏見の壁をつくっているようなものです。
2.あばたもえくぼ式になるな
好きだと思うとなんでも好きになってしまう人がいます。好きな部下のや
ることはなんでもうまくいっているように見えます。
反対にこういった人は、嫌いな部下のやることは、よくいっていることも
悪くとってしまいます。つまり、えくぼもあばたに見えてしまうのです。
いったい好きな部下、嫌い部下をつくるといったことが間違いのもとです。
部下を持った人は好きな部下、嫌いな部下をつくってはいけません。英雄と
いわれた人も、名社長といわれた人も好きな部下、嫌いな部下をつくったた
めに失脚することが多いのです。
織田信長は、好きな部下森欄丸、嫌いな部下明智光秀をつくったために本
能寺で憤死しています。
あばたはあばた、えくぼはえくぼとクールに見分けなければなりません。
3.一面的な見方で評価するな
軽々しく、ある一面だけを見て部下の人物、才能を評価してしまうもので
す。
表面だけ見たら才能のないように見える部下が偉大な創意力を潜在させて
いることもあります。
部下の評価は、多方面より多角的に行なわなければなりません。才能がな
いと思った部下が思わぬ才能を保持していることがあります。たとえば、あ
る分野では「鳴かず飛ばず」で一向に冴えない人が、ポストが換わったら
「魚が水を得た」ように、生き生きと大きな成果を上げるかもしれないので
す。
こうして与えられたポストによって「成果」を上げられるかどうかが大き
く左右されること自体が、人それぞれの「個性」なのです。
その一方で個性の強い人間は、多くの人びとと衝突を繰り返すかもしれま
せん。そのため、とかく排除されたり、あるいは周囲から圧迫される傾向が
強いといえます。
反面、うまいことをいう部下が結局、言葉だけの才子であったりすること
もあります。
4.言葉でなく行動で評価せよ
ある知能的
詐欺の名人が死ぬ時にいったといいます。
「
詐欺の基本は、相手がなにを欲しがっているか、それを把握することだ」
「何もほしがっていない人をだますことは全くの不可能と知るべきだ」
部下のなかにも上司の心を読みとるような「おべんちら」をいう人がいる
ものです。
部下の全員が張り切って、もっと能率を上げてもらいたいと思っている時
に、
「課長の気持にもなって、もっと能率よくやろうぜ」
といってくれる部下は、口だけは達者な人と見ていても抜擢してやってよい
ぐらいに思うものです。
また、部下の一人がミスをやった時、
「あのケースは、勝ちようがあれほど注意するようにいっていたのに、その
ケース通りのミスをするなんて、これには課長も責任はとれないょナ」
と、あたかも自分の心の一部にあることを代弁してくれるかの如きをいう部
下は、これも自分の後任にでも推薦してやりたくなるものです。
だが、こういった口のうまい部下は、ゴマスリ的なことは当意即妙的にい
うが誠意はないものです。口のうまさだけで高く評価してしまってはいけま
せん。
口よりも行動を重視するやり方には時間はかかりますが、人の誠意という
ものは口だけでは判断できないものであり、行動を見てからでないとわかり
ません。上司と部下の関係は、時間をかける間は十分にあるので行動に重き
を置いて評価すべきです。
なにかメリットを発揮する働き、シークレットな、企業に利益を与える情
報の収集など、そのようにメリットを発揮する勤勉さをやってみせないと、
上司も周囲も認めてくれません。
また、とかく口のうまい人は実のないもの、とくに下積みの仕事をいやが
るものです。
5.一期一会の意識を持て
人と会うときは、この人と会うのも「一期一会」の覚悟で会っていたら、
いいかげんに会おうとはしません。一生のうち一度しか会えない人として、
相手の顔を見るのも、話を聞くのも、こちらが話すのも心をこめて会ったり、
聞いたり、話したりするようになるものです。
部下に会うにも一期一会のつもりで会ったら、おろそかに会ったり、話を
聞いたりしないものです。自分の人生に二度とないこととなると、一挙手一
投足に至るまで、思いのこすもののないように慎重になるものです。
どうもわれわれは、多忙ということにもてあそばれて、一期一会の意識に
欠けているような気がします。そのために大事なものを見失ったり、ユニー
クな創意のある人を逃がしてしまったりしているのではないかと思うのです。
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★編集後記
本メルマガが今年最後となります。この一年間ご愛読いただきましてあり
がとうございました。
来年もよりよい内容のメルマガを発信いたしますので、引き続きご愛読く
ださいますようお願い申し上げます。
最後に、皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。
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★舘 義之のポジション
人事・IE・VE・マーケティングコンサルタント
人事・IE・VE・マーケティングの三輪で企業体質の仕組みを構築して、
厳しい経営環境の中で勝ち残っていく会社にすることを第一に支援します。
舘 義之への問い合わせ
study@agate.plala.or.jp
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