<第354回>賢人の
コンピテンシーをベンチマークする!<その47>
==■「39歳で売れっ子字幕翻訳家になった奈津子氏の目標
達成志向!」■==
===================================
人は誰でも能力を保有しています。しかし、せっかくの保有能力が宝の持ち腐れとなり、成
果に結び付けられない人が実に多いのです。
「賢人の
コンピテンシーをベンチマークする」と題して分かりやすく解説していきます。
コンピテンシーを磨けば誰でも仕事のできる人に自己変革できます。経営トップ・管理者・
社員の皆様、そして求職中の
離職者の方や就職を目指す学生さんにも是非ともお読みいただ
きたいと思います。
===================================
■忙しい人はとりあえず流し読みして下さい。後でゆっくり読み直していただくと理解が一
層深まります。(
コンピテンシー宣教師より)■
<今回のメニュー>
=================================
【1】洋画との出会いが字幕翻訳家を意識するきっかけに!
【2】保険会社に入社するも1年半で辞め、夢を追う!
【3】映画の世界には入れるも文書の翻訳や通訳ばかり!
【4】ついに売れっ子翻訳家に!
【5】賢人から学ぶべきこと!
【6】編集後記
=================================
賢人と呼ぶにふさわしい人は、すばらしい「行動特性」を持って行動している。だからすば
らしい仕事の結果を出すことができるのだ。我々は賢人の
コンピテンシーをベンチマークし
ない手はないのだ。
【1】洋画との出会いが字幕翻訳家を意識するきっかけに!
戸田奈津子氏(78歳)は洋画の字幕翻訳の第一人者だ。これまで約1500本もの映画の字幕翻
訳をしたと言う。なぜ彼女は字幕翻訳家になることに執念を燃やしたのだろうか。
彼女は戦時中の1936年に北九州市に生まれた。父が銀行員で転勤族だったからたまたま福岡
で生まれたのだ。その後父は出征して戦死する。母はすぐさま東京世田谷の実家へ帰る。祖
母、母との3人生活が始まるが近所付き合いもないため友達もいない。買ってもらった本を
読んで過ごすことが多かった。
東京の空襲がひどくなり、一時、父の故郷である愛媛県の西条市に疎開したが9歳のとき終
戦を迎えた。マッカーサーが来日して2年目ごろに外国映画が解禁となった。1947年公開の
ジョン・フォード主演の「荒野の決闘」を見て感動した。
高校生の頃にジョセフ・コットン主演の「第三の男」を見てしびれた。初めて字幕を強く
意識した。新聞の下に出ている映画館の広告を見て東京中の映画館を回り、「第三の男」
を約50回も見たから各シーンはほとんど暗記したそうだ。
字幕に「今夜は酒が荒れる」とあったが、英語では「I shouldn’t drink it. It makes
me acid.」。直訳すれば「私はこれを飲んではいけない。これは私を不機嫌にするから」
となる。字幕は直訳ではなく、映画のシーンと役者が演じる人物の身になって短く翻訳し
なければならないのだ。このときの字幕翻訳者は有名な「秘田余四郎」と言う人だった。
【2】保険会社に入社するも1年半で辞め、夢を追う!
高校を出て彼女は1954年に津田塾大の英文科に入学した。英語を身に付けなければ字幕翻
訳家になれないと思ったからだ。だが英語よりも映画に夢中になり、授業は友達に出席時
の代返(代わりに返事をすること)を頼んで映画館通いに明け暮れた。「ローマの
休日」、
「エデンの東」などはこり頃だった。自身の恋愛など考えもしなかった。
あっという間に4年が経ち、卒業が近づいてきた。母は今で言うOLをしながら大学に行か
せてくれたから何としても働かなければならなかった。できれば英語と映画、つまり字幕
翻訳の仕事に就きたかった。それには映画界にパイプを持たなければならない。当時「清
水俊二氏」と言う字幕翻訳の大御所がいた。生涯で2000本もの字幕翻訳を成し遂げた人だ。
清水氏の住所や電話番号を電話帳で調べ、ついにたどり着いた。思い切って手紙を出した
ら何と返事が返ってきて会ってもらえることになった。清水氏に「字幕翻訳家は10人ほど
しかいない。しかも全員年配の男だけだ。女が字幕翻訳家なんてなれないから諦めなさ
い」と諭された。仕方なく生命保険会社に事務員として就職した。
給料も良かったし、居心地もよかったが事務服を着て朝の9時から夕方5時まで机に座って
事務を執るのは苦痛だった。耐え切れずたった1年半で辞めてしまう。
その後英文翻訳のアルバイトで8年ほど生活したが、どうしても字幕翻訳の仕事が諦めき
れず清水氏とは時々コンタクトを取り、一本の糸をつなぎ止めておいた。
【3】映画の世界には入れるも文書の翻訳や通訳ばかり!
30歳のとき、彼女の執拗さに負けた清水氏は映画会社を紹介してくれた。その映画会社に
かの有名な「水野晴郎氏」が宣伝部長でおられた。アメリカの映画関係者と頻繁にやり取
りをしていたため、手紙や書類の翻訳の仕事を主にさせられた。あるとき有名人が来日す
るから通訳をしてくれと命じられた。英語を書いたり翻訳はできるが英会話などやったこ
ともなく、「無理です」と断ったが、ほかに誰もいないと言うことで通訳をやらされた。
初めての通訳は“めろめろ”だった。下手するとクビになるのではないかと思った。通訳
は“めろめろ”だが、映画には詳しかった。バックボーンは全部知っている。そのことが
功を奏してそれ以降もアメリカ映画界の要人が来日するたびに通訳をさせられた。
それほどまで字幕翻訳をやりたいのかと言われて短編映画「野生の少年」の字幕翻訳の仕
事をさせてもらった。33歳のときだった。だが翻訳の
報酬はあまりにも安かった。
【4】ついに売れっ子翻訳家に!
悶々とした日々が続いたが、1976年に「フランシス・フォード・コッポラ監督」に出会う。
コッポラ監督はベトナム戦争を題材にした「地獄の黙示録」の監督をしていたが途中中断
などもあり、完成まで3年も要した。
コッポラ監督はアメリカ、日本、フィリピンを行き来しながら映画作りを進めていたが日
本に立ち寄るたびに「あなたが案内してほしい」と頼まれ、いろいろ案内しているうちに
仲良しになり、映画の撮影現場にも立ち合わせてもらえるようになった。
コッポラ監督は何と映画会社に「字幕翻訳は戸田氏にやらせてはどうか」と後押ししてく
れた。映画会社もコッポラ監督の推薦では断るわけにも行かず、ついに大作の字幕翻訳に
たどり着いた。もう39歳になっていた。
一夜にして“シンデレラレディ”になった気がした。以来、字幕翻訳の仕事がくるは、く
るはで、寝る暇もないほどだった。約1500本もの字幕翻訳をすることになった。
たくさんの一流スターとも友達になることができた。トム・クルーズ、ハリソン・フォー
ド、チリャード・ギアなど数え切れない。
結婚には興味が湧かないまま、とうとう78歳を迎えてしまったが、「わが人生に悔いはな
い。好き勝手な人生を送ることができて幸せだった」と満足そうに話す戸田氏だった。
【5】賢人から学ぶべきこと!
大概の人は目的が叶わないと知るや、その段階で諦めるだろう。だが、戸田奈津子氏は諦
めなかった。そして自分自身で「つて」探しをやった。当時はネットを検索すればなんで
も情報が得られる時代ではなかった。根気強く電話帳を調べて、字幕翻訳の大御所「清水
俊二氏」を探し当てて手紙を書く。一か八かで出した手紙に運良く返事が来て映画界にパ
イプを作ることに成功した。
仮の姿として生命保険会社に入社するも上の空で、短期間で辞めてしまう。清水氏は彼女
の執念と言うか熱意に負けてついに映画会社を紹介してくれた。そこから来日した要人の
記者会見の通訳をやり、扉を開いていく。
コッポラ監督の後ろ盾を得て「地獄の黙示録」の字幕翻訳の仕事をゲットし、メジャーデ
ビューを果たした。これがきっかけで「字幕翻訳家のシンデレラ」になり、次々仕事が舞
い込むのだった。彼女の「執念の目標
達成志向」を是非学んでほしい。
【6】編集後記
映画に夢中になりすぎて初恋も男性との大人のお付き合いも経験しなかった。いろいろな
人が縁談を持ってきてくれたが全て断った。映画以外、全く興味が湧かなかった。こんな
「女の一生」もあるものだと感心させられる。
<今回はBS-TBSの「関口宏の人生の詩」も参考にさせてもらった。>
================================
次回に続く
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
本メールマガジンは「まぐまぐ」と「melma」を通して発行しております。
「まぐまぐ」での登録・退会はこちらから
⇒
http://members.jcom.home.ne.jp/3223898301/melmag.html
「melma」での登録・退会はこちらから
⇒
http://members.jcom.home.ne.jp/3223898301/melmag2.html
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
発行責任者:さいたま市中央区上落合5丁目19-29
彩愛コンサルピア代表 下山明央
*************************************************************************
この記事に関するご感想、ご意見はこちらから
3223898301@jcom.home.ne.jp
著書「中堅・中小企業のための
コンピテンシー入門」好評発売中!詳細はこち
らから⇒
http://members.jcom.home.ne.jp/3223898301/book.html
*************************************************************************
メールマガジン「仕事のできる人の集団作り戦略」好評配信中!登録はこちら
⇒
http://www.melma.com/backnumber_59181/
ブログにも味深い記事を掲載しています。こちらをクリック!
⇒
http://blog.livedoor.jp/shimo1873/
⇒
http://blog.goo.ne.jp/saiaiconsul/
*************************************************************************
<第354回>賢人のコンピテンシーをベンチマークする!<その47>
==■「39歳で売れっ子字幕翻訳家になった奈津子氏の目標達成志向!」■==
===================================
人は誰でも能力を保有しています。しかし、せっかくの保有能力が宝の持ち腐れとなり、成
果に結び付けられない人が実に多いのです。
「賢人のコンピテンシーをベンチマークする」と題して分かりやすく解説していきます。
コンピテンシーを磨けば誰でも仕事のできる人に自己変革できます。経営トップ・管理者・
社員の皆様、そして求職中の離職者の方や就職を目指す学生さんにも是非ともお読みいただ
きたいと思います。
===================================
■忙しい人はとりあえず流し読みして下さい。後でゆっくり読み直していただくと理解が一
層深まります。(コンピテンシー宣教師より)■
<今回のメニュー>
=================================
【1】洋画との出会いが字幕翻訳家を意識するきっかけに!
【2】保険会社に入社するも1年半で辞め、夢を追う!
【3】映画の世界には入れるも文書の翻訳や通訳ばかり!
【4】ついに売れっ子翻訳家に!
【5】賢人から学ぶべきこと!
【6】編集後記
=================================
賢人と呼ぶにふさわしい人は、すばらしい「行動特性」を持って行動している。だからすば
らしい仕事の結果を出すことができるのだ。我々は賢人のコンピテンシーをベンチマークし
ない手はないのだ。
【1】洋画との出会いが字幕翻訳家を意識するきっかけに!
戸田奈津子氏(78歳)は洋画の字幕翻訳の第一人者だ。これまで約1500本もの映画の字幕翻
訳をしたと言う。なぜ彼女は字幕翻訳家になることに執念を燃やしたのだろうか。
彼女は戦時中の1936年に北九州市に生まれた。父が銀行員で転勤族だったからたまたま福岡
で生まれたのだ。その後父は出征して戦死する。母はすぐさま東京世田谷の実家へ帰る。祖
母、母との3人生活が始まるが近所付き合いもないため友達もいない。買ってもらった本を
読んで過ごすことが多かった。
東京の空襲がひどくなり、一時、父の故郷である愛媛県の西条市に疎開したが9歳のとき終
戦を迎えた。マッカーサーが来日して2年目ごろに外国映画が解禁となった。1947年公開の
ジョン・フォード主演の「荒野の決闘」を見て感動した。
高校生の頃にジョセフ・コットン主演の「第三の男」を見てしびれた。初めて字幕を強く
意識した。新聞の下に出ている映画館の広告を見て東京中の映画館を回り、「第三の男」
を約50回も見たから各シーンはほとんど暗記したそうだ。
字幕に「今夜は酒が荒れる」とあったが、英語では「I shouldn’t drink it. It makes
me acid.」。直訳すれば「私はこれを飲んではいけない。これは私を不機嫌にするから」
となる。字幕は直訳ではなく、映画のシーンと役者が演じる人物の身になって短く翻訳し
なければならないのだ。このときの字幕翻訳者は有名な「秘田余四郎」と言う人だった。
【2】保険会社に入社するも1年半で辞め、夢を追う!
高校を出て彼女は1954年に津田塾大の英文科に入学した。英語を身に付けなければ字幕翻
訳家になれないと思ったからだ。だが英語よりも映画に夢中になり、授業は友達に出席時
の代返(代わりに返事をすること)を頼んで映画館通いに明け暮れた。「ローマの休日」、
「エデンの東」などはこり頃だった。自身の恋愛など考えもしなかった。
あっという間に4年が経ち、卒業が近づいてきた。母は今で言うOLをしながら大学に行か
せてくれたから何としても働かなければならなかった。できれば英語と映画、つまり字幕
翻訳の仕事に就きたかった。それには映画界にパイプを持たなければならない。当時「清
水俊二氏」と言う字幕翻訳の大御所がいた。生涯で2000本もの字幕翻訳を成し遂げた人だ。
清水氏の住所や電話番号を電話帳で調べ、ついにたどり着いた。思い切って手紙を出した
ら何と返事が返ってきて会ってもらえることになった。清水氏に「字幕翻訳家は10人ほど
しかいない。しかも全員年配の男だけだ。女が字幕翻訳家なんてなれないから諦めなさ
い」と諭された。仕方なく生命保険会社に事務員として就職した。
給料も良かったし、居心地もよかったが事務服を着て朝の9時から夕方5時まで机に座って
事務を執るのは苦痛だった。耐え切れずたった1年半で辞めてしまう。
その後英文翻訳のアルバイトで8年ほど生活したが、どうしても字幕翻訳の仕事が諦めき
れず清水氏とは時々コンタクトを取り、一本の糸をつなぎ止めておいた。
【3】映画の世界には入れるも文書の翻訳や通訳ばかり!
30歳のとき、彼女の執拗さに負けた清水氏は映画会社を紹介してくれた。その映画会社に
かの有名な「水野晴郎氏」が宣伝部長でおられた。アメリカの映画関係者と頻繁にやり取
りをしていたため、手紙や書類の翻訳の仕事を主にさせられた。あるとき有名人が来日す
るから通訳をしてくれと命じられた。英語を書いたり翻訳はできるが英会話などやったこ
ともなく、「無理です」と断ったが、ほかに誰もいないと言うことで通訳をやらされた。
初めての通訳は“めろめろ”だった。下手するとクビになるのではないかと思った。通訳
は“めろめろ”だが、映画には詳しかった。バックボーンは全部知っている。そのことが
功を奏してそれ以降もアメリカ映画界の要人が来日するたびに通訳をさせられた。
それほどまで字幕翻訳をやりたいのかと言われて短編映画「野生の少年」の字幕翻訳の仕
事をさせてもらった。33歳のときだった。だが翻訳の報酬はあまりにも安かった。
【4】ついに売れっ子翻訳家に!
悶々とした日々が続いたが、1976年に「フランシス・フォード・コッポラ監督」に出会う。
コッポラ監督はベトナム戦争を題材にした「地獄の黙示録」の監督をしていたが途中中断
などもあり、完成まで3年も要した。
コッポラ監督はアメリカ、日本、フィリピンを行き来しながら映画作りを進めていたが日
本に立ち寄るたびに「あなたが案内してほしい」と頼まれ、いろいろ案内しているうちに
仲良しになり、映画の撮影現場にも立ち合わせてもらえるようになった。
コッポラ監督は何と映画会社に「字幕翻訳は戸田氏にやらせてはどうか」と後押ししてく
れた。映画会社もコッポラ監督の推薦では断るわけにも行かず、ついに大作の字幕翻訳に
たどり着いた。もう39歳になっていた。
一夜にして“シンデレラレディ”になった気がした。以来、字幕翻訳の仕事がくるは、く
るはで、寝る暇もないほどだった。約1500本もの字幕翻訳をすることになった。
たくさんの一流スターとも友達になることができた。トム・クルーズ、ハリソン・フォー
ド、チリャード・ギアなど数え切れない。
結婚には興味が湧かないまま、とうとう78歳を迎えてしまったが、「わが人生に悔いはな
い。好き勝手な人生を送ることができて幸せだった」と満足そうに話す戸田氏だった。
【5】賢人から学ぶべきこと!
大概の人は目的が叶わないと知るや、その段階で諦めるだろう。だが、戸田奈津子氏は諦
めなかった。そして自分自身で「つて」探しをやった。当時はネットを検索すればなんで
も情報が得られる時代ではなかった。根気強く電話帳を調べて、字幕翻訳の大御所「清水
俊二氏」を探し当てて手紙を書く。一か八かで出した手紙に運良く返事が来て映画界にパ
イプを作ることに成功した。
仮の姿として生命保険会社に入社するも上の空で、短期間で辞めてしまう。清水氏は彼女
の執念と言うか熱意に負けてついに映画会社を紹介してくれた。そこから来日した要人の
記者会見の通訳をやり、扉を開いていく。
コッポラ監督の後ろ盾を得て「地獄の黙示録」の字幕翻訳の仕事をゲットし、メジャーデ
ビューを果たした。これがきっかけで「字幕翻訳家のシンデレラ」になり、次々仕事が舞
い込むのだった。彼女の「執念の目標達成志向」を是非学んでほしい。
【6】編集後記
映画に夢中になりすぎて初恋も男性との大人のお付き合いも経験しなかった。いろいろな
人が縁談を持ってきてくれたが全て断った。映画以外、全く興味が湧かなかった。こんな
「女の一生」もあるものだと感心させられる。
<今回はBS-TBSの「関口宏の人生の詩」も参考にさせてもらった。>
================================
次回に続く
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
本メールマガジンは「まぐまぐ」と「melma」を通して発行しております。
「まぐまぐ」での登録・退会はこちらから
⇒
http://members.jcom.home.ne.jp/3223898301/melmag.html
「melma」での登録・退会はこちらから
⇒
http://members.jcom.home.ne.jp/3223898301/melmag2.html
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
発行責任者:さいたま市中央区上落合5丁目19-29
彩愛コンサルピア代表 下山明央
*************************************************************************
この記事に関するご感想、ご意見はこちらから
3223898301@jcom.home.ne.jp
著書「中堅・中小企業のためのコンピテンシー入門」好評発売中!詳細はこち
らから⇒
http://members.jcom.home.ne.jp/3223898301/book.html
*************************************************************************
メールマガジン「仕事のできる人の集団作り戦略」好評配信中!登録はこちら
⇒
http://www.melma.com/backnumber_59181/
ブログにも味深い記事を掲載しています。こちらをクリック!
⇒
http://blog.livedoor.jp/shimo1873/
⇒
http://blog.goo.ne.jp/saiaiconsul/
*************************************************************************