◆◆
コンピテンシーを磨けば仕事のできる人になれる◆◆
<第387回>賢人の
コンピテンシーをベンチマークする!<その80>
==■「野茂投手やイチロー選手を育てた故仰木監督の選手育成術!」■==
===================================
人は誰でも能力を保有しています。しかし、せっかくの保有能力が宝の持ち腐れとなり、成
果に結び付けられない人が実に多いのです。
「賢人の
コンピテンシーをベンチマークする」と題して分かりやすく解説していきます。
コンピテンシーを磨けば誰でも仕事のできる人に自己変革できます。経営トップ・管理者・
社員の皆様、そして求職中の
離職者の方や就職を目指す学生さんにも是非ともお読みいただ
きたいと思います。
===================================
■忙しい人はとりあえず流し読みして下さい。後でゆっくり読み直していただくと理解が一
層深まります。(
コンピテンシー宣教師より)■
<今回のメニュー>
=================================
【1】西鉄ライオンズ全盛時代の名セカンド!
【2】8球団競合、残りくじで野茂投手を引き当てる!
【3】登録名イチローでいかがですかと父親に!
【4】「がんばろう神戸」で優勝!
【5】賢人から学ぶべきこと!
【6】編集後記
=================================
賢人と呼ぶにふさわしい人は、すばらしい「行動特性」を持って行動している。だからすば
らしい仕事の結果を出すことができるのだ。我々は賢人の
コンピテンシーをベンチマークし
ない手はないのだ。
【1】西鉄ライオンズ全盛時代の名セカンド!
2005年の暮れ、仰木彬氏は肺がんのため静かに息を引き取った。享年70歳だった。今の時代
にしては早すぎる死だった。世間では「仰木マジック」と言うが、教え子の金村義明氏は「決
してマジックなんかではなく緻密に計算した上での戦術だった。常にポケットにはデータを
携えていたが、その紙には数字が並んでいるだけで他人には意味が分からなかった」と語っ
ている。
仰木監督についてはいくら書いても書き足りないほどたくさんのエピソードがあるが、今回
は「選手の育て方」にスポットを当てることにする。
その前に仰木氏のプロフィールに簡単に触れておくことにする。
1935年に福岡県中間市に生まれた。両親は教員をしていたが父は1944年に太平洋戦争で戦死
し、母親に育てられた。1953年、筑豊高校3年の夏に甲子園に投手として出場したが初戦で浪
商に敗れてしまう。1954年に西鉄ライオンズに
契約金30万円、年棒36万円で投手として入団
するが1年目の春期キャンプ中にフリーバッティングで投げる様子を見ていた三原脩監督から
二塁へのコンバートを命じられる。厳しく鍛えられた仰木氏はやがて名二塁手に成長してい
く。
当時三塁は中西、ショートは豊田と言うスター選手がいて三羽烏が内野を固めることになる。
だが選手時代から遊び人として鳴らし、三原監督を時々困らせていた逸話が多い。
1967年に現役を引退し、西鉄のコーチを務めた後、三原監督の呼びかけで近鉄の守備走塁コ
ーチに就任し、管理者の道を歩むことになる。
【2】8球団競合、残りくじで野茂投手を引き当てる!
1987年オフに岡本監督の後任として近鉄の監督に就任する。1年目は西武と激しい優勝争いを
演じた末、優勝を逃す。前年最下位なのに当時黄金期の西武をあと一歩のところまで追い詰
めたのだった。
翌1989年にはオリックス、西武との三つ巴の優勝争いを演じ、ついに優勝する。2位オリック
スとはわずか1厘差だった。その年の日本シリーズでは巨人相手に3連勝したのに4連敗して日
本一を逃した。巨人を相手に好投した加藤投手が「巨人はたいしたことなかった」発言で巨
人打線に火を付けてしまったとも言われている。
ドラフト会議で野茂投手は8球団が競合した。本線のくじを引く順番は近鉄の仰木監督は8番
目だった。最後にくじを引く仰木監督は残っていたくじを引いた。ところがその最後の一枚
が当りくじだったのである。かくして、野茂英雄投手は近鉄に入団することになるが、入団
交渉で野茂投手から申し入れがあった。それは「私の投球ホームはいじらないでほしい」と
言うものだった。仰木監督はその申し入れを了承した。
翌年開幕したが野茂投手の調子は一向に上がらない。普通なら監督・コーチが独特のトルネ
ード投法を止めさせ、ノーマルな投球ホームにするだろう。だが仰木監督はいじらず、じっ
と開花するのを待った。その後、大リーグに行ってもトルネード投法は威力を発揮し両リー
グでノーヒットノーランを達成することとなる。仰木監督1992年に近鉄の監督を引退する。
【3】登録名イチローでいかがですかと父親に!
野球解説者を経て1994年、オリックスの監督に就任する。そのとき、二軍生活を送っていた
イチローを直ぐに一軍に抜擢する。そのとき「イチロー」と登録名を決めるのだが、決める
ときにイチローの父に「イチローと登録したいがどうですか」と打診した。仰木監督の人柄
が現れている。イチローも独特の打法で「振り子打法」と言われたが、仰木監督、野茂同様
ホームは一切いじらなかった。イチローは目覚しい活躍をし、日本人選手として年間200本
以上の安打を達成している。
同じく内野手としてくすぶっていた田口壮を外野にコンバートする。「君は肩がいいと足も
速いから外野が向いている」と説得した。
その後の二人の活躍は目を見張るものがあった。就任1年目の1994年のシーズンは早速チー
ムを2位に浮上させて見せた。
【4】「がんばろう神戸」で優勝!
翌年の1995年には阪神・淡路大震災に襲われるが「がんばろう神戸」を合言葉に初のリーグ
優勝に導く。しかし日本シリーズでは残念ながら野村監督率いるヤクルトに敗れて日本一を
逃してしまった。翌1996年もリーグ優勝を果たし、今度は長嶋巨人を破っては初の日本一に
導いた。
1999年まで6年連続(近鉄監督時代を含めると11年連続)Aクラスを維持した。名監督と称さ
れる所以である。
イチローや田口がメジャーリーグに渡り、2年連続Bクラスとなった2001年限りで監督を引退
した。
2004年には野球殿堂入りを果たす。その年の暮れに記念パーティで「これが私の生前葬だと
思っております」と語る。このとき既に肺がんを患い闘病生活をしていたのだ。そのことは
西鉄時代の盟友である中西太氏や金村義明氏ら一部の関係者しか知らなかったそうだ。
【5】賢人から学ぶべきこと!
野球殿堂入りしたとき、野茂投手やイチロー選手など教え子たちも駆けつけて祝福してくれ
た。みんな一様に「自分が今日あるのは仰木監督のお陰」と異口同音に言う。仰木監督の人
柄、人格が物語っている。
仰木監督は選手を育てるに当り、まず選手一人ひとりの個性を大事にする。個性をより際立
たせるように磨かせる。そうすると自然に欠点が隠れてしまうと考えているのだ。
仰木マジックと言われるが金村氏は否定する。緻密なデータに基づいて采配を振るっている
と見ているからだ。
1996年のオールスターでイチローを投手として起用し話題になった。セの勘と下った野村監
督はそれなら場と言うことで当時巨人の主砲だった松井秀喜に代えてヤクルトの高津投手を
代打に送った。結果は内野ゴロだった。
「ネコの目打線」も有名だ。スタメンを固定することなく、相手の投手によって打線を縦横
無尽に組み替えたのである。選手に対しては当然複数のポジションをこなせるように練習さ
せることも怠らなかった。多能工に近い考え方だ。
闘い方のパターンをマージャンの上がり手ほどではないがたくさん用意していて大概成功を
収めた。次々戦術を繰り出す頭脳の柔らかさと実行力はビジネスマンも見習うべき点が多々
ある。
【6】編集後記
どこの球団にも立派な監督・コーチがいる。だが選手の育て方の上手な監督・コーチがいる
一方で、あまり得意でない監督・コーチもいる。
会社でも同じことが言える。できの悪い部下は放出して、できのいい部下がほしいと考える。
でもできの悪い部下をできのいい部下に育ててみてほしいのだ。そうすれば部下を育てる醍
醐味を味わうことができる。そしてそれは上司と部下双方にとってWin Winなのだ。
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次回に続く
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==■「野茂投手やイチロー選手を育てた故仰木監督の選手育成術!」■==
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人は誰でも能力を保有しています。しかし、せっかくの保有能力が宝の持ち腐れとなり、成
果に結び付けられない人が実に多いのです。
「賢人のコンピテンシーをベンチマークする」と題して分かりやすく解説していきます。
コンピテンシーを磨けば誰でも仕事のできる人に自己変革できます。経営トップ・管理者・
社員の皆様、そして求職中の離職者の方や就職を目指す学生さんにも是非ともお読みいただ
きたいと思います。
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層深まります。(コンピテンシー宣教師より)■
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【1】西鉄ライオンズ全盛時代の名セカンド!
【2】8球団競合、残りくじで野茂投手を引き当てる!
【3】登録名イチローでいかがですかと父親に!
【4】「がんばろう神戸」で優勝!
【5】賢人から学ぶべきこと!
【6】編集後記
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賢人と呼ぶにふさわしい人は、すばらしい「行動特性」を持って行動している。だからすば
らしい仕事の結果を出すことができるのだ。我々は賢人のコンピテンシーをベンチマークし
ない手はないのだ。
【1】西鉄ライオンズ全盛時代の名セカンド!
2005年の暮れ、仰木彬氏は肺がんのため静かに息を引き取った。享年70歳だった。今の時代
にしては早すぎる死だった。世間では「仰木マジック」と言うが、教え子の金村義明氏は「決
してマジックなんかではなく緻密に計算した上での戦術だった。常にポケットにはデータを
携えていたが、その紙には数字が並んでいるだけで他人には意味が分からなかった」と語っ
ている。
仰木監督についてはいくら書いても書き足りないほどたくさんのエピソードがあるが、今回
は「選手の育て方」にスポットを当てることにする。
その前に仰木氏のプロフィールに簡単に触れておくことにする。
1935年に福岡県中間市に生まれた。両親は教員をしていたが父は1944年に太平洋戦争で戦死
し、母親に育てられた。1953年、筑豊高校3年の夏に甲子園に投手として出場したが初戦で浪
商に敗れてしまう。1954年に西鉄ライオンズに契約金30万円、年棒36万円で投手として入団
するが1年目の春期キャンプ中にフリーバッティングで投げる様子を見ていた三原脩監督から
二塁へのコンバートを命じられる。厳しく鍛えられた仰木氏はやがて名二塁手に成長してい
く。
当時三塁は中西、ショートは豊田と言うスター選手がいて三羽烏が内野を固めることになる。
だが選手時代から遊び人として鳴らし、三原監督を時々困らせていた逸話が多い。
1967年に現役を引退し、西鉄のコーチを務めた後、三原監督の呼びかけで近鉄の守備走塁コ
ーチに就任し、管理者の道を歩むことになる。
【2】8球団競合、残りくじで野茂投手を引き当てる!
1987年オフに岡本監督の後任として近鉄の監督に就任する。1年目は西武と激しい優勝争いを
演じた末、優勝を逃す。前年最下位なのに当時黄金期の西武をあと一歩のところまで追い詰
めたのだった。
翌1989年にはオリックス、西武との三つ巴の優勝争いを演じ、ついに優勝する。2位オリック
スとはわずか1厘差だった。その年の日本シリーズでは巨人相手に3連勝したのに4連敗して日
本一を逃した。巨人を相手に好投した加藤投手が「巨人はたいしたことなかった」発言で巨
人打線に火を付けてしまったとも言われている。
ドラフト会議で野茂投手は8球団が競合した。本線のくじを引く順番は近鉄の仰木監督は8番
目だった。最後にくじを引く仰木監督は残っていたくじを引いた。ところがその最後の一枚
が当りくじだったのである。かくして、野茂英雄投手は近鉄に入団することになるが、入団
交渉で野茂投手から申し入れがあった。それは「私の投球ホームはいじらないでほしい」と
言うものだった。仰木監督はその申し入れを了承した。
翌年開幕したが野茂投手の調子は一向に上がらない。普通なら監督・コーチが独特のトルネ
ード投法を止めさせ、ノーマルな投球ホームにするだろう。だが仰木監督はいじらず、じっ
と開花するのを待った。その後、大リーグに行ってもトルネード投法は威力を発揮し両リー
グでノーヒットノーランを達成することとなる。仰木監督1992年に近鉄の監督を引退する。
【3】登録名イチローでいかがですかと父親に!
野球解説者を経て1994年、オリックスの監督に就任する。そのとき、二軍生活を送っていた
イチローを直ぐに一軍に抜擢する。そのとき「イチロー」と登録名を決めるのだが、決める
ときにイチローの父に「イチローと登録したいがどうですか」と打診した。仰木監督の人柄
が現れている。イチローも独特の打法で「振り子打法」と言われたが、仰木監督、野茂同様
ホームは一切いじらなかった。イチローは目覚しい活躍をし、日本人選手として年間200本
以上の安打を達成している。
同じく内野手としてくすぶっていた田口壮を外野にコンバートする。「君は肩がいいと足も
速いから外野が向いている」と説得した。
その後の二人の活躍は目を見張るものがあった。就任1年目の1994年のシーズンは早速チー
ムを2位に浮上させて見せた。
【4】「がんばろう神戸」で優勝!
翌年の1995年には阪神・淡路大震災に襲われるが「がんばろう神戸」を合言葉に初のリーグ
優勝に導く。しかし日本シリーズでは残念ながら野村監督率いるヤクルトに敗れて日本一を
逃してしまった。翌1996年もリーグ優勝を果たし、今度は長嶋巨人を破っては初の日本一に
導いた。
1999年まで6年連続(近鉄監督時代を含めると11年連続)Aクラスを維持した。名監督と称さ
れる所以である。
イチローや田口がメジャーリーグに渡り、2年連続Bクラスとなった2001年限りで監督を引退
した。
2004年には野球殿堂入りを果たす。その年の暮れに記念パーティで「これが私の生前葬だと
思っております」と語る。このとき既に肺がんを患い闘病生活をしていたのだ。そのことは
西鉄時代の盟友である中西太氏や金村義明氏ら一部の関係者しか知らなかったそうだ。
【5】賢人から学ぶべきこと!
野球殿堂入りしたとき、野茂投手やイチロー選手など教え子たちも駆けつけて祝福してくれ
た。みんな一様に「自分が今日あるのは仰木監督のお陰」と異口同音に言う。仰木監督の人
柄、人格が物語っている。
仰木監督は選手を育てるに当り、まず選手一人ひとりの個性を大事にする。個性をより際立
たせるように磨かせる。そうすると自然に欠点が隠れてしまうと考えているのだ。
仰木マジックと言われるが金村氏は否定する。緻密なデータに基づいて采配を振るっている
と見ているからだ。
1996年のオールスターでイチローを投手として起用し話題になった。セの勘と下った野村監
督はそれなら場と言うことで当時巨人の主砲だった松井秀喜に代えてヤクルトの高津投手を
代打に送った。結果は内野ゴロだった。
「ネコの目打線」も有名だ。スタメンを固定することなく、相手の投手によって打線を縦横
無尽に組み替えたのである。選手に対しては当然複数のポジションをこなせるように練習さ
せることも怠らなかった。多能工に近い考え方だ。
闘い方のパターンをマージャンの上がり手ほどではないがたくさん用意していて大概成功を
収めた。次々戦術を繰り出す頭脳の柔らかさと実行力はビジネスマンも見習うべき点が多々
ある。
【6】編集後記
どこの球団にも立派な監督・コーチがいる。だが選手の育て方の上手な監督・コーチがいる
一方で、あまり得意でない監督・コーチもいる。
会社でも同じことが言える。できの悪い部下は放出して、できのいい部下がほしいと考える。
でもできの悪い部下をできのいい部下に育ててみてほしいのだ。そうすれば部下を育てる醍
醐味を味わうことができる。そしてそれは上司と部下双方にとってWin Winなのだ。
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