総務や
人事の業務をどう効率化するかという話になると、よく返ってくる言葉があります。
「うちにはITに詳しい人がいないので、難しいですね」
私は
社会保険労務士として
労務の実務に関わりながら、IT企業で現役のエンジニアとしてシステム開発にも携わっています。その両方から見ていると、この言葉には少し違和感があります。
実際に注意したいのは、詳しい人がいない会社だけではありません。詳しい人が一人だけいて、その人に仕組みや判断が集中している会社にも、別のリスクがあります。
1. 「詳しい人」が一人いる会社で何が起きるか
総務に一人、Excelが得意な方がいるとします。その方が勤怠の集計表を作り、関数を組み、やがてマクロを入れる。手作業が減り、周りは助かります。
問題はその後です。
その表は、作った本人にしか構造が分かりません。どのシートがどのシートを参照しているのか、なぜこの数式なのか、どこを直すと何が壊れるのか。作った人の頭の中にしかない情報が増えていきます。
そして、その方が異動や
退職をします。
残されるのは、動いてはいるけれど誰も触れないファイルです。数字が合わなくなっても、原因を追えません。制度が変わって計算式を直す必要が出ても、直せません。結果として、担当者が代わったタイミングで手作業に戻ってしまうことがあります。
詳しい人がいなければ、そもそも複雑なものは作られません。だから壊れ方も単純です。詳しい人が一人だけいる会社のほうが、仕組みが複雑になりやすく、その人への依存度も高くなります。
2.
労務の記録では、単なる引継ぎの問題で済まないことがある
一般の業務なら、作り直せば済む話かもしれません。しかし、
労務関係の記録では話が変わります。
労働者名簿、
賃金台帳のほか、
出勤簿などの労働関係に関する重要な書類には、法律上の保存義務があります。保存期間は本則では5年ですが、
経過措置により当分の間は3年とされています。
これらを紙ではなくパソコンなどで作成・保存する場合には、法定事項を画面に表示して印字できること、労働基準監督官の臨検時などに必要事項を直ちに明らかにして提出できること、誤消去を防ぎ、保存期間を通じて保存できることが求められます。
ここで、属人化したファイルを思い出してください。
念のため申し添えると、属人化していること自体が、直ちに法令違反になるわけではありません。問題は、作った人がいなくなった結果、対象期間の確定した記録を特定できない、必要な事項を表示・印字できない、パスワードや操作方法が分からず直ちに提出できない、といった状態になることです。
効率化のために作った仕組みであっても、必要な記録を保存し、取り出せる状態を維持できなければ、法令上求められる保存方法を満たせなくなるおそれがあります。属人化は、そのリスクを高める要因の一つです。
3. 詳しくない人でも回る形にする
では、どうすればよいか。三つに絞ります。
一つ目は、作った人以外が実際に操作してみることです。
別の担当者に、対象者と対象期間を指定して記録を表示・印字してもらいます。操作が止まった場所や、判断に迷った場所が、そのまま属人化している箇所です。引継ぎ書は、この確認結果を踏まえて作ると実用的になります。
二つ目は、自動化の程度ではなく、担当者が代わっても検証・修正できるかを基準に選ぶことです。
マクロ自体が悪いわけではありません。手作業による転記ミスを減らせる場合もあります。ただし、作成者にしか修正できない自動化より、処理手順や計算根拠が文書化され、別の担当者が結果を確認できる仕組みのほうが安全です。
データを「一行に一人分、一列に一項目」といった扱いやすい形にしておけば、担当者が代わったときだけでなく、別のシステムへ移行するときにも利用しやすくなります。
三つ目は、確定した記録と作業中のファイルを分けることです。
正式な
記録の保存場所、ファイル名、対象期間、確定日を決めます。必要に応じて、特定のマクロに依存しない形式でも保存しておきます。編集できる人を限定し、バックアップから復元できることも確認しておくと安心です。
「正本はどれか」「どの期間の記録か」「誰が取り出せるか」が明確であれば、担当者が代わっても、提出すべき記録を迷わず特定できます。
4. おわりに
冒頭の「詳しい人がいないから無理」という言葉に戻ります。
詳しい人がいないことは、実は出発点として悪くありません。凝ったものを作れないぶん、誰でも読める形になりやすいからです。
必要なのは詳しい人ではなく、担当者が代わっても回るかどうかという視点です。いま使っているファイルを開いて、「自分が明日いなくなったら、これを誰が説明できるか」と考えてみてください。答えに詰まるなら、そこが手を入れる場所です。
総務や人事の業務をどう効率化するかという話になると、よく返ってくる言葉があります。
「うちにはITに詳しい人がいないので、難しいですね」
私は社会保険労務士として労務の実務に関わりながら、IT企業で現役のエンジニアとしてシステム開発にも携わっています。その両方から見ていると、この言葉には少し違和感があります。
実際に注意したいのは、詳しい人がいない会社だけではありません。詳しい人が一人だけいて、その人に仕組みや判断が集中している会社にも、別のリスクがあります。
1. 「詳しい人」が一人いる会社で何が起きるか
総務に一人、Excelが得意な方がいるとします。その方が勤怠の集計表を作り、関数を組み、やがてマクロを入れる。手作業が減り、周りは助かります。
問題はその後です。
その表は、作った本人にしか構造が分かりません。どのシートがどのシートを参照しているのか、なぜこの数式なのか、どこを直すと何が壊れるのか。作った人の頭の中にしかない情報が増えていきます。
そして、その方が異動や退職をします。
残されるのは、動いてはいるけれど誰も触れないファイルです。数字が合わなくなっても、原因を追えません。制度が変わって計算式を直す必要が出ても、直せません。結果として、担当者が代わったタイミングで手作業に戻ってしまうことがあります。
詳しい人がいなければ、そもそも複雑なものは作られません。だから壊れ方も単純です。詳しい人が一人だけいる会社のほうが、仕組みが複雑になりやすく、その人への依存度も高くなります。
2. 労務の記録では、単なる引継ぎの問題で済まないことがある
一般の業務なら、作り直せば済む話かもしれません。しかし、労務関係の記録では話が変わります。
労働者名簿、賃金台帳のほか、出勤簿などの労働関係に関する重要な書類には、法律上の保存義務があります。保存期間は本則では5年ですが、経過措置により当分の間は3年とされています。
これらを紙ではなくパソコンなどで作成・保存する場合には、法定事項を画面に表示して印字できること、労働基準監督官の臨検時などに必要事項を直ちに明らかにして提出できること、誤消去を防ぎ、保存期間を通じて保存できることが求められます。
ここで、属人化したファイルを思い出してください。
念のため申し添えると、属人化していること自体が、直ちに法令違反になるわけではありません。問題は、作った人がいなくなった結果、対象期間の確定した記録を特定できない、必要な事項を表示・印字できない、パスワードや操作方法が分からず直ちに提出できない、といった状態になることです。
効率化のために作った仕組みであっても、必要な記録を保存し、取り出せる状態を維持できなければ、法令上求められる保存方法を満たせなくなるおそれがあります。属人化は、そのリスクを高める要因の一つです。
3. 詳しくない人でも回る形にする
では、どうすればよいか。三つに絞ります。
一つ目は、作った人以外が実際に操作してみることです。
別の担当者に、対象者と対象期間を指定して記録を表示・印字してもらいます。操作が止まった場所や、判断に迷った場所が、そのまま属人化している箇所です。引継ぎ書は、この確認結果を踏まえて作ると実用的になります。
二つ目は、自動化の程度ではなく、担当者が代わっても検証・修正できるかを基準に選ぶことです。
マクロ自体が悪いわけではありません。手作業による転記ミスを減らせる場合もあります。ただし、作成者にしか修正できない自動化より、処理手順や計算根拠が文書化され、別の担当者が結果を確認できる仕組みのほうが安全です。
データを「一行に一人分、一列に一項目」といった扱いやすい形にしておけば、担当者が代わったときだけでなく、別のシステムへ移行するときにも利用しやすくなります。
三つ目は、確定した記録と作業中のファイルを分けることです。
正式な記録の保存場所、ファイル名、対象期間、確定日を決めます。必要に応じて、特定のマクロに依存しない形式でも保存しておきます。編集できる人を限定し、バックアップから復元できることも確認しておくと安心です。
「正本はどれか」「どの期間の記録か」「誰が取り出せるか」が明確であれば、担当者が代わっても、提出すべき記録を迷わず特定できます。
4. おわりに
冒頭の「詳しい人がいないから無理」という言葉に戻ります。
詳しい人がいないことは、実は出発点として悪くありません。凝ったものを作れないぶん、誰でも読める形になりやすいからです。
必要なのは詳しい人ではなく、担当者が代わっても回るかどうかという視点です。いま使っているファイルを開いて、「自分が明日いなくなったら、これを誰が説明できるか」と考えてみてください。答えに詰まるなら、そこが手を入れる場所です。